物心ついたときにはもう兄の後ろを追っかけていた。
部屋の中で二人で遊んでいても、家族で出かける時も、常に隣にいる存在。
子どもの狭い世界の中ではそれは動く教科書だった。

横で兄のすることを必死で模倣していた。
これまた可愛かっただろう自分をいじめることもなく、よく遊んでくれたし、いろいろ教えてもくれた、面倒見のいい優しい兄だったのだ。

あの頃二つ上の兄は自分にとって万能の神だった。
父よりも明らかに近い存在で目標で、憧れの存在で、誇れる存在。

母親が兄に向って『お兄ちゃんなんだから。』というセリフを言っていた記憶はない。
ただ知らないだけかも知れないが。
それよりはむしろ『お兄ちゃんみたいに・・・・。』と諭されることの方が多かった気がする。

だから後を追う様に同じように。
そう思って必死について行っていた。
子どもの二年は今思うよりかなり『差』があった。


もっともっと多くの子供と交わるようになっても、兄は変わらず自分のずっと先を行っていた気がする。
ただ、徐々にその気持ちに変化が出てきて。
同じようについて行くのを嫌がり、あえて違いを出すように振舞ったり、子供ならではの葛藤を経て、今はまた素直に信頼できる存在だ。


就職の内定をもらって、残りの学生生活を楽しんでいたある日。
自宅にいる様に言われた。
就職と同時に一人暮らしを始めた兄が久しぶりに帰って来た。
1人じゃなかった。
ビックリするほどの美人を連れてきた。

家族一同見とれたくらいの美人だった。

「百瀬早紀さん。二つ年下だから啓と同じ年だよ。」

幸い兄とは好みが違ったから、正直に感想が言えた。

「兄さん、どこでこんなきれいな人と知り合ったの?」

家を出てそろそろ4年になる。
連れてきたと言うことはそう言うことか?
いつから付き合ってたのか、彼女がいたという話は何度か聞いたが。

「大学の後輩。そろそろ紹介したくて。のんびり学生をやってた弟も無事に卒業と就職も決めたし。」

「はあ?何で俺の就職が関係あるのさ。」

自慢じゃないがバイトは器用にこなして、生活費も学費の一部もちゃんと自分でも負担している。
そこまで両親や兄のお荷物になっていたとは思ってなかった。
そう思って言い放った言葉。

兄はニヤリと笑ってこっちを見た。

「早紀はお前の働く会社の社員です。驚いたか!」

「・・・・本当に?」

「秘書課で働いてます。春からよろしくね。」

自分は営業希望である。そう言って内定もとったつもりだ。
男の自分は間違っても秘書課には配属されないだろう。
接点があるかどうかは分からない。
でもちょっとだけ心強いような気もした。

「よろしくお願いします。」

もちろん人事の偉い人でも、経営者の身内でもない。
自分は何のコネもない状態で入ったのは間違いない。
それでもなんだかむず痒いような気がする。
社内でも評判の美人だろう。
俺に見張りでもさせる気じゃないだろうな。
兄をちらりと見た。

「まあ、啓がセクハラを受けないように気を付けてもらえるし、啓が怪しい動きをしたら耳に入る様になるかもしれないし。楽しみだなあ?」

「なんだよ、それ。セクハラはともかく、怪しい動きって何だよ?」

「さあな~。秘書課に集まる情報量はすごいらしいからな。まるっと筒抜けになる覚悟でどうぞ。」


両親も早紀さんに兄の事を頼みつつ、弟の俺のこともさり気なくお願いしている。
安心材料にはなったらしい。