まだまだ月末の山までは余裕があるはずのある日。

またまた営業がらみで小さな障害物の様に仕事がやってきた。
担当が上の人だったので上の人が手分けして処理している。
当然その他の普通の書類が下の者に回ってくる。

本当にいたずらなタイミング。
あり得ない偶然。

一枚の書類は社員の事務手続き一式。

みゆきが処理していた書類が目に入った。

提出者の名前が・・・・百瀬 早紀さん あの秘書課の人。
名前の変更。大場 早紀・・・・。

大場・・・・・。

どうして・・・・、まだ噂にもなってないのに。
それとも私が知らないだけ。
もしくは、とりあえず入籍だけ?

さっきみゆきも驚いていたようだった。
多分この書類を見ていたんだと思う。
みゆきも知らなかったんだと思う。

大場ってあの大場だって気が付かないの?
気が付いても別に私に言うことじゃないかも。
大場が私に話しかけてくるのは決まって一人の時だった。
二回も食事に行ってるなんて知らないだろう。
まして私が・・・・想ってるなんて・・・・・、このまま知られずにいたい。
だってもう過去形にするしかなくなったから。



・・・・結婚するんだ。


手はキーボードの上にあっても全く動かない。
凪状態だった心もさすがに波が立つ。

心臓が鼓動以外の震えを覚えるくらい、多分、今全身が震えてるんだと思う。
悪寒のような震え。嫌な汗も出る。
このままだと涙も、声も・・・・。


財布を持って休憩するふりして廊下に出た。

耐えられない。

トイレに数人が入っていくのが見えた。
トイレはダメ。
じゃあ、とりあえず、非常階段に出た。
一つ上の階にのぼっていく。
なんとか手すりにつかまりながら足をあげる。

口を押えないと声が出そう。
抑えた手が片手では足りなくて、手すりから手を離した途端、崩れた。
一つ上の踊り場だった。
もっと上へ行きたいのに。誰も来ない所へ。


だって、分かってたつもりだった。

それでもこんなに早いの?
せっかく好きだと気が付いたら、あっという間に失恋して。
素直になる暇なんてなかった。
ずっとひねくれた嫌な女のまま。

一度も甘えることなんてなかったから、妹にもなれない。
当たり前だ、何で私が甘えられる?

もう少し上の階へ行こう。
残業でもいい。今はどこかに避難したい。

手すりにつかまってゆっくり階段を上る。
上のドアが開いて光が入ってきた。
誰かが降りてきた。
役員フロアに用があるのは偉い人だけ。
でもヒールの音で女性だと分かった。

知らない声で名前も呼ばれた。

「只野さん?」

誰?

つい顔をあげた。

なんで?・・・どうして私の名前を知ってるのか分からない。
考えたくない。嫌な想像しか出来ない。

目礼して上を目指す。さらに二階分上がると屋上になる。
外には出れないけど、ここならまず誰も来ないだろう。

泣きたい時は泣いたほうがいい。
その方がスッキリする。

悲しい映画を見る時はそうだったから。

埃っぽい階段に座り膝に顔を埋める。
泣き声が響かないようにハンカチを持って口に当てる。

でも、きっとバレる。
千野先輩とみゆきにはバレる。
何があったか聞かれる。

いっそ終業時間までここにいようか。


誰も来ないと思ってたのに足音がした。
どの階にも消えていくことなく上にのぼってくる気がする。

目の前で止まった。

誰よ。

みゆきじゃない、足音がもっと大きい人だと想像させる。

先輩?

ゆっくり顔をあげる。
薄暗い中に見たのは・・・・・・。