死にたがりティーンエイジを忘れない



学校は午前九時ごろに始まって、午後三時ごろまで。

途中に二回、長めの休憩がある。

その二度ともで、持参したランチを食べていい。


ランチの内容は、簡単なサンドウィッチと丸ごとのリンゴやバナナ、ちょっとしたお菓子。

わたしはポテトや野菜のチップスとか、クラッカーにチーズをディップして食べるパックとかを気に入ったから、

わたしの甘いお菓子とほかの子のチップス系とで交換したりした。


日本を発つ前には、ホームステイの間に通うのは英語を教わる学校だ、と聞かされていた。

実際のところ、確かに一応テキストブックがあって、先生であるマリーとクレアの説明を聞きながら穴埋め問題をやったこともある。


でも、中学生がメインのグループだから、高二のわたしと彼らの間には、どうしても習熟度に差があった。

文法を教わるグラマーのテストの結果でいうと、わたしも竜也も高校生として申し分ないそうだ。


最初の三日間はお試しみたいな感じだった。

イチロー先生とマリーとクレアで試行錯誤して、わたしたち十五人に何をやらせようかと作戦を立てていた。


その結果、普通の授業はほとんどなくなった。

わたしたちは毎日のように、ホストファミリーの子どもたちと一緒に課外授業に出掛けることになった。

もともと古戦場や動物園、古い教会、市役所、科学館を訪れる予定は組まれていた。

それ以外の課外授業も増えたというわけ。