籐矢がスカイデッキで二人の無事を祈っている頃、シアターの一角では緊張した状態が続いていた。
楽屋に踏み込んだ籐矢の声に、かろうじて動かせる足で床を鳴らし存在を知らせようとした水穂の動きを封じるため、 見張りの男は弘乃の首筋にアイスピックが突きつけた。

水穂自身を脅すのではなく、弘乃が危険に晒された方が効果的だと考えることのできる彼らは油断がならない。

弘乃の顔は表面上かわりないが、額には脂汗がにじんでいることから、相当なストレスが加わっていた。

籐矢が楽屋に踏み込んだとき、水穂たちは蜂谷が横たわるソファ後方の鏡の中にいた。

壁に取り付けられた姿見が扉となり、中はクローゼットになっているのだが、そこに押し込まれていたのだった。

手足を縛られ口には猿ぐつわで、体の自由を奪われていたにもかかわらず、かかとで床を鳴らしたのは水穂の必死の行動だった。

ところが、見張りの男は水穂を制することなく、迷わず弘乃の首筋にピックの先を突きつけた。

水穂にとって、自分の体を痛めつけられるより辛いことである。

そこに籐矢がいるのに身動き一つできず、なんの合図も送れない。

涙がにじむほど悔しい思いだったが、にじむ涙を拭うこともできない状況だった。

籐矢が楽屋から立ち去ったあと、角田がソファの後ろへやってきた。



「無駄な抵抗だよ。あきらめて僕たちの言う事を聞いてよ」



うぅ……と声にならない声を出す水穂を、勝ち誇った目が見下ろした。



「あなたは神崎さんのウィークポイントだ、愉快だな。香坂さんは彼のパートナーでしたね。 

仕事の相棒でもあり、恋人ですか。うまいことやってるんだろうな。

神崎さん、そっちのほうはどお? あっ、その顔では答えられないか」 



あはは……といやらしい高笑いが楽屋に響く。

とらわれてわかったことは、捜査本部の情報がかなり漏れているということだった。

ジュンの髪飾りにはやはり盗聴器が仕込まれており、多数の警備情報及び監視カメラなど監視機器の存在も知られていた。

弘乃と水穂が捕らえられたのは、籐矢の身近な人物であると彼らが知ったからだ。

水穂にとって弘乃の首のアイスピックと同じく、弘乃と水穂が危険な目に合えば籐矢の動きを封じられると、角田たちは判断した。

一般人の弘乃は仕方がないが、訓練を積み危機的状況にも機敏に対応できるはずの自分が捕まったのは、大失態である。

籐矢の足でまといになっただけでなく、籐矢と水穂の仲を汚い言葉で愚弄した。

声を出せない悔しさを、睨みつけることで示した。



「そんな目をしてもいいのかな。三谷弘乃さんも、神崎さんにとって大事な人だし、この人が傷ついたら、彼がどれほど悲しむか……」



弘乃の首筋に当てられたアイスピックが肌に食い込む。

水穂は必死になって首を振った。



「わかったみたいだね。あなたには、もう少しここにいてもらおうかな。

蜂谷さんもよく寝てる。彼を起こさないでくださいよ」



見張りを残して角田たちは楽屋を出ていった。

残るは一人、この男をなんとかすればと思うものの、弘乃を危険な目に合わせるわけにはいかない。
昼食会に騒ぎを仕掛けると話していた角田たちの計画を伝えなければ。

壁の時計が午前4時を指している。

あと7時間……

なんとかこの状況を打破できないものか、水穂は必死で考えていた。