長身のふたりの歩きは、ロビーを行きかう人の目にもとまるほど颯爽としていた。

目を素早く左右に動かし、周囲に人気のないことを確認してから、潤一郎の返事があった。



「ハンガリーにいるよ」


「監視をつけたのか」


「今にはじまったことじゃない。

オペラ歌手の波多野結歌にも監視をつけていたが、彼女は事件とは無関係だった」



蜂谷理事長の恋人ではないかと目されていた波多野結歌だったが、京極虎太郎の粘り強い捜査の結果、彼女にやましいところはなく、蜂谷とは付き合いが長い友人だとわかったと、潤一郎が事実を伝える。

へぇ、と相槌をうつ籐矢へ、その波多野結歌だが、井坂の依頼で留学生の世話係りを務めるために、もうすぐ渡欧するらしいと、これも初耳な情報がもたらされた。

波多野結歌の動きを追っていれば、井坂の動きもわかるだろうから、追って報告すると抜かりがない。



「ふぅん、井坂の監視はいつからだったんだ?」


「井坂に絞って監視していたわけじゃない。

ある人物を追っていたら蜂谷廉と接触があった。数か月前のことだ」


「それは初耳だな」


「そうさ、僕も初めて言ったよ」



とぼけた横顔に軽く拳を当てた。

ひょいとかわすところが憎らしいと思うが、身のこなしが軽くなければ潤一郎のような危険な仕事などできない。



「石田みづきにも監視をつけてくれ」


「なにかわかったのか」



近づく足音がして、ふたりは会話を一時中断したが人の数は増えるばかりだった。

あとで……と小さくつぶやいた籐矢へ、潤一郎は全く別の話題をふってきた。



「帰りの飛行機だが、明日の最終便だったな」


「うん、乗ったら寝るだけだ」


「そうか、フラットシートがいいな。手配しておくよ」


「はぁ? どういう意味だ」


「披露宴にお越しいただいたお客さまのために、車を用意するのは当然のこと」


「車じゃない、飛行機だ」


「だから ”お車代” だよ」



エレベーターが到着して、潤一郎は籐矢を振り切るように先に乗り込んだ。

続きの話をしたくても、狭い空間に数人が乗りあわせた場でできる話ではなく、”お車代” の話はそれきりになった。

そして、今朝、近衛家からファーストクラスを二席用意したと連絡があったのだった。


シートベルトのサインが消え、ほどなく専属のキャビンアテンダントがドリンクを運んできた。

水穂もドリンクを受け取り一口含むと、顔を寄せ 「さぁ、聞かせてもらいましょうか」 と言わんばかりに籐矢を見た。



「お車代だそうだ」


「はぁ?」


「わからないのか? 披露宴の招待客には ”お車代” がでるだろう。あれだよ」


「私たち、飛行機ですよ、それもフランスと日本の往復です。タクシーとはわけが違います。

往路もビジネスクラスを用意してもらったのに、復路までなんて。

それもファーストクラスですよ。全部負担してもらったというんですか!」


「そうだよ」


「そうだよって、そんなのおかしいでしょう。考えてもみてください、今度の帰国は半分は仕事です。

いいえ、全部仕事だと言っても言いすぎじゃないです。ご厚意でも受け取れません。

近衛さんのお家がどれほどすごいか知りませんけど、”お車代” でファーストクラスなんて、ありえません!」



思った通りの反応に籐矢は内心苦笑いしたが、これも想定内だ。

大きな声を出すな、周りに聞こえるだろうと、まずは水穂の大きな声をいさめ、籐矢はことさら小さな声で話をはじめた。



「それがあるんだよ。近衛家は、そういう家柄なんだよ。

披露宴も客船でクルーズ付きと豪勢だったが、お車代も半端じゃない、太っ腹だね」


「でも、半分くらいは出さなきゃ。ファーストクラスは無理でも、エコノミーだったら……」


「いまさら席の変更はできないぞ。この便は満席だ」


「満席ですか……」


「まぁ、いいじゃないか。表向き、今回はプライベートの移動だ。問題はない」


「でも」



プライベートだから問題はないと、潤一郎にそう言われて籐矢も納得した。

同じセリフが水穂に通用するとは思えなかったが、乗ってしまった以上、納得してもらうしかない。



「なぁ、知ってるか」


「はい?」


「ファーストクラスより上のクラスがあるんだぞ」


「えっ、知りません。どれだけ豪華なんですか、そのシートは」


「確か、スイートクラスと言ったかな。完全個室、プライベートは完璧に守られる設計らしい。

ワンフロアに数席しかない、想像もつかないほど豪華なつくりだそうだ」


「へぇ、すごいですね。けど、経験することなんてないでしょうね」


「いつか乗せてやる」


「はいはい、期待してます」


「なんだよ、信じてないのか」


「そうじゃありませんけど……だって、私たち、今は旅行する暇なんてないです。

いつか客船にも乗せてくれる約束でしたよね。気長に待ちますから」


「そういえば、潤一郎の兄さんたち、客船で三週間のアジアクルーズだそうだ。

連続休暇三週間は無理だが、10日くらいなら何とかなるだろう。飛行機と船、どっちがいい?」


「私、客船の旅の方がいいです。新婚旅行なら船の方が……いえ、なんでもないです」



すっと横を向いた頬がピンクに染まっていた。

誰と新婚旅行に行くつもりだよとからかおうとして、籐矢は言葉をのみこんだ。

水穂との未来は、これからいくらでも想像できる、穏やかな時間もいつか持てるだろう。

そのまえにやらなければならないことがあるのだ。

そうでなければ安息の日々は訪れない。

胸の奥の熾火に火がついてしまった、その炎を燃やす時が近づいている。

リヨンに戻ったらさっそく動き出すつもりでいるが、それまでの時間はひとときの休息の時だ。



「時差ボケを防ぐためにも、そろそろ寝た方がいい」


「おやすみなさい」


「おやすみ」



手を伸ばし、水穂の手を握りしめた。

その上からもう片方の水穂の手が重ねられる。

心残りではあったが暖かな思いをもらった手を戻し、夜の帳を降ろすように静かに目を閉じた。



                         ・・・ EpisodeⅡ 完 ・・・



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『Shine』をお読みくださいまして、ありがとうございました。

物語は次のシリーズへ続きます。

『Shine』Episode Ⅲはゆっくりの更新ですが、どうぞお付き合いください。

次のページから、番外編を一話お届けします。

こちらにもお付き合いください。


               K・撫子