警棒に鞭を絡ませ、蜂谷を引き寄せて戦うしかない。

しかし、両手使いの相手に接近戦で勝てるのか……

一本の鞭に警棒が絡め取られたときだった、蜂谷のもう片方の鞭が籐矢の顔へとしなった。

目をしたたかに打たれた籐矢はその場にうずくまった。



「神崎さん! 大丈夫ですか!」


「香坂さんもいたんですか。そんな杖で僕に勝てますか」


「覚悟しなさい」



水穂の手には、潤一郎が証拠品として押収した久我会長のステッキが握られていた。

ハイヒールを脱ぎ捨てステッキを構え、蜂谷を見据えている。

その姿は形に忠実であり、実に様になっていた。

ドレスを着てステッキを手にした水穂を蜂谷は侮っていた。



「鞭であなたの肌を傷つけたくない。無駄な抵抗はやめた方いい」



見下した言葉にむっとしたが、水穂は気持ちを集中させることに努めた。

無心になれと、ことあるごとに言われた師の言葉を思い出していた。

杖道は長い杖を用い、形の演武で勝敗を決める武道である。

直接杖を交えるものではないが、気合い打ちを心得ている。

すぅっと息を吐いた水穂はステッキを下段に構えた。

蜂谷の鞭が空を切ったそのときを逃さなかった。

籐矢が蜂谷の足元めがけて警棒を投げた瞬間、水穂は構えたステッキを振り上げて下ろし蜂谷の体を打ち据えた。

バーラウンジロビーに低いうめき声が響き、わぁっと駆け寄った捜査員たちに蜂谷は取り押さえられた。



「神崎さん!」


「おまえ、警棒を持ってたのか。どこに隠してた」


「ドレスの下です。そんなことより傷は? 額から出血してます」


「傷はたいしたことはないが、目がよく見えない。おい、俺を誘導しろ」


「手当が先です!」


「そんなのはあとだ。『黒蜥蜴』 の奴らを逃がすんじゃない。

船が着岸する前にひとり残らず捕まえろ」


「彼らの身柄は拘束した」



激しく言いあう籐矢と水穂の間に割って入ってきた人物は、ふたりを見下ろしながらゆったりと言葉をつづけた。



「奴らの計画も未然に防いだ。籐矢、目はどうだ。見えないのか」


「計画を防いだって、本当ですか!」


「私がウソを言うとでも?」


「奴らの仲間が、ほかにもいるかもしれないんですよ」


「彼らが全部吐いた。仲間は一網打尽だ」


「全員ですか!」


「籐矢、そんなに私が信用できないか」



苦笑いの京極警察庁長官は、ひざまずき籐矢の顔を覗き込んだ。



「傷の手当てをしっかりしてもらえ。こんな顔を見たら母さんが卒倒するぞ」


「伯父さん……」


「船はもうすぐ港につく、ほどなく客の下船も始まるだろう。

あとは私たちに任せてくれ。事件は内々に処理する」



警察関係の根回しは始まっている、これから私らの出番だよと言い残し、京極長官はその場を離れていった。

バーラウンジのロビーは、駆けつけた捜査員や警察幹部でいっぱいになっていた。

一般客の姿もあったが、彼らは負傷した者を診る沢渡医師と友人たちで、潤一郎の要請で事後処理に加わっていた。



「神崎さん……目は」


「少しずつ見えてきた」



ハンカチで傷口を押える続ける水穂の手に、籐矢はそっと手を重ね握りしめた。



「おまえが無事でよかった」



しんみりとした籐矢の声に、水穂は鼻の奥がツンとうずいた。



「神崎さんを助けたのは私ですからね、忘れないでくださいよ」


「おまえなぁ」


「さぁ、立ってください。沢渡先生に診てもらいましょう。

傷口を縫っても泣かないでくださいよ」


「泣くか!」



血がにじむ顔で怒鳴るのも籐矢らしい。

怪我人は大事に扱えと文句を言う顔を見ながら、いつもの籐矢が戻ってきたと水穂は思った。


『客船 久遠』 は、優美な船体を港に横付けし、何事もなかったように招待客を無事に陸に降ろした。



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杖道・・・長い杖(木製の棒)を用いて、寸止めで演武する武道。