「こちらのお方は、アラブ首長国連邦に住んでいらっしゃる、とある大富豪のお嬢様です。先日、当ホテルをご利用戴きましてね、そのときの写真なんですが――似合いの二人だと思いませんか?」

 残念ながら、コピーしたものでもハッキリ分かる。西洋人形のように整ったキレイな顔立ちに、清楚系なドレスがスタイルの良さをこれでもかと引き出していた。

 そんな彼女の手を引き、にこやかな笑みを浮かべてエスコートをしているジュリオ。指摘されなくても、お似合いなのは一目瞭然だ。

「ベルリーニ家は、イタリアでも屈指の名門なんです。常に注目されていると言ってもいい。最近メディアではジュリオ様の結婚相手を、勝手に捜している始末でして」

「…………」

「ベルリーニの家と釣り合う家柄であれば、誰も文句を言いませんし、このように祝福してくれる記事を書いてくれるのです。ですがこれに掲載される相手がアナタだと、どうでしょうか?」

 どこにでもいる日本人の私――彼女のような美点が、悲しいことにひとつもない。

「井上 瑞穂さん、アナタではなく、ジュリオ様が叩かれるでしょうね。財産目当てで近づいてきた日本人に、まんまと騙されて。という記事が目に浮かびます」

「そ、んな……」

「こういう記事が出てしまうと我が社の株は、大暴落を起こしてしまうでしょう。アナタのような貧乏人に財産を回さないように、株主たちが手を組んで」

「待って! どうしていきなり、そんなことになっちゃうのよ?」

 相手が代わるだけで、手のひらを返すようなそんな行為をされちゃうって一体。

「ジュリオ様を社長から追い落としたい人間が、残念ながらいるということです。アナタは、格好のネタになりますから」

(私のせいで、ジュリオが会社を追われてしまうの!?)

 見せていたコピー用紙をしまって姿勢を正すと、改めて私の顔を見下ろす。

「ベルリーニを……ジュリオ様をお守りするためなら、私はどんなことでも致しますから、どうか別れてください」

 きっちりと頭を下げた姿に、言葉が詰まってしまった。さっき、私を襲った人とは思えない――私にイヤがらせをして何とか引き離そうとした、彼の演技だったのかな。

「私ははじめ、先代社長の下に仕えておりました。そしてジュリオ様が社長になられてからは先代社長の経営方針を伝授しつつ、仕えさせて頂いてたのですが、よくぶつかりましてね」

 苦笑いを浮かべて諦めたような表情で話をしていくダニエルさんに、どんな顔していいのか分からない。

 突きつけられた現実がやけに重くて目を背けていたいのに、彼が話してくれるジュリオの話を聞かずにはいられなかった。

「先代社長は保守派だったのでそれを汲んでいる私の意見は、当然反対されました。反対をするのですが、すべて拒否するのではなく、いいところだけを掬い取って採用してくれたのです」

「いいトコ取り……。何だかジュリオらしいわね」

 厳しい中にも、相手を立てる優しさを見せるところが。

「我々が考えつかないアイディアをどんどん出していき、実現をしていく仕事ぶりも感心させられます。たとえ不測の事態に陥っても、次の一手やその先を見越して対策を施していたりと、若いのにやり手なんですよ」

 自分の自慢をするようにジュリオの話をしてくれた彼に対して、笑みを浮かべてあげる。

 私が彼を想う様にダニエルさんも、ジュリオが大切なんだ――守りたいからこそ、私との付き合いを反対しているのはすごく分かる。頭では理解できるけど、気持ちがやっぱりついていかない。

「私はジュリオ様の傍で会社と共に成長していく姿を、ぜひとも見たいと願っております。彼の未来に影が差すようなことがあれば迷うことなく、それらを切り捨てます。どんな手段を使ってでも、ね」

「ダニエルさん……」

 アイスブルーの瞳の奥に、どんどん熱がこもっていく。その熱に突き動かされるしかない。私だって、ジュリオの幸せを願っているんだから――

「アナタは私が、イジワルを言ってるようにしか聞こえないかもしれませんが」

 その言葉に、ふるふると首を横に振った。

「イジワルなんて思ってないから。私も同じ気持ちでいるもの、ジュリオには幸せになって欲しい。だから……」

「はい?」

「明日、日本に帰国するから飛行機のチケットを用意してくれない? そ、れをっ、手切れ金代わりにして飛び立って……あげ、るからっ……」

 最後は涙声になってしまい言葉にはならなかったけど、ダニエルさんは優しい声で分かりましたと呟いた。

 そして私の手に、そっとハンカチを握らせる。

「ファーストクラスをご用意致しますので」

「そん、なのいいわよ、普通ので。悪い、女を演、じて、ちゃん、と別れてあげるから、心配……しないでっ」

 手渡されたハンカチでぐいぐい涙を拭いながら肩をひくつかせ、悲しみを堪えていると、いきなり体を抱きしめられてしまう。

「なっ!?」

「僭越ですが私の胸をお貸しします。我慢なさらないで、思い切り泣いてください」

「でも……」

 ジュリオとは違う体温に戸惑いを覚えてしまって、無駄に遠慮してしまった。

「私のお願いで、アナタを泣かせてしまっているんです。責任を取らせてください。それに――」

 ダニエルさんの胸の中で、居心地悪そうにしている私の顔を見やり、ふっと寂しげに微笑む。

「Affascinato dalla pupilla ossidiana bagnato ,perche potrebbe uscire involontariamente mano .」
(濡れた黒曜石の瞳に魅せられて、思わず手を出してしまうかもしれませんから)
 
 何だか長ったらしいイタリア語で話しかけられてしまって、どうしていいか余計分からなくなった。

「すみません。日本語で何て言葉をかけて慰めたらいいのか、全然分からなくて。仕事以外、不器用な男なんです」

「ダニエルさんは、恋人か奥さんはいらっしゃるの?」

 心底困り果てた様子に何だか救われてしまって、涙が引っ込んでしまった。包まれているあたたかさのお陰かもしれない。

「恋人がいるのですが仕事を優先してしまって、自然消滅一歩手前です。ね、不器用でしょ」

 言いながら子どもの頭を撫でるように、私の頭を優しく撫でてくれる。

 はじめは怖い人だって思ったけど、不器用で真っ直ぐでジュリオを思っているからこそ、あたたかい人なんだって分かった。

「好きなら、追いかければいいのに」

「追いかける勇気が出ません。追いかけて拒否されたらどうしようかと慄いてしまって。だから羨ましかったのかもしれませんね。仕事を放り出して、アナタへ真っ直ぐに向かって行ったジュリオ様が」

「そんな人だから、好きになったのかも。あの有り難うございます。落ち着くことができました」

 ダニエルさんの胸を押して、腕の中から脱出した。

「そのハンカチ差し上げますので、きちんと涙を拭いてください。頬がまだ濡れています」

 右手でそっと頬を撫でられ、驚いてしまった。抱きしめられたときよりも優しく接してくれる急な接近に、ドギマギするしかない。

「今夜、そこの大通りに車を停めて、出てくるのを待っています。何時でも」

「わ、分かりました、ありがとうございます!」

 頭を下げた私を見やり、路地裏から去って行く背中。やけに寂しそうに見えたのは、気のせいなのかな。