手から力が抜け落ちた。

「やっぱり、瑠璃さんがいいですか?」

「は? 瑠璃?」

変わらない呼び捨てが、わたしの悲しみにガソリンを注ぐ。

「わたし、間に合いませんでしたか? それとも最初から届いてなかった? 啓一郎さんはずっと瑠璃さんが好きだったんですか?」

「なんで瑠璃の話になるの?」

きょとんとして啓一郎さんは言う。

「だって啓一郎さん、瑠璃さんと会ったんでしょ?」

「は? いつ?」

「わたしが熱を出した日のすぐあと」

啓一郎さんは首をかしげてますます不思議そうに顔を歪める。

「瑠璃になんて、もう何年も会ってないけど?」

「嘘! 瑠璃さんとの電話、しっかり盗み聞きしたもん! 週末家にいなかったのだって、ちゃんと見張ってたんだから!」

「……堂々と言うか、それ」

宙を見上げて考え込んだ啓一郎さんはしばらくして、

「ああ、あの日か……」

と、小さくうなずいた。そして落ち着き払って、しかも多少楽しげに話し出す。

「瑠璃は一昨年、俺の同期の日野と結婚したんだよ」

「……へ?」

『ドウキノヒノトケッコン』頭をそんな字幕が通過していった。

「瑠璃は隣県の事業所にいた時の後輩で、日野とも同じ職場だったんだ。俺と別れたあとふたりは付き合って、そのまま結婚したんだけど、去年子どもが生まれて出産祝いを送ったら、『内祝い返しがてら一緒に飲もう』って日野が。あれは日野からの電話だよ。瑠璃とはちょっと話しただけ」

親しげで安心しきった笑い声、くだけた口調、ごく親しい相手との電話なんだとすぐにわかった。
それで『瑠璃』って言うから……

「えー、紛らわしい」

「勝手に聞いて、勝手に誤解したんだろ」

さっきまでとろけるようにやさしかった手が、わたしの頬っぺたを両サイドから思いっきり引っ張った。

「いいいいいいっ!!」

啓一郎さんはそのまま頬っぺたを両手で包み、今度はやさしく撫でる。

「誤解は解けましたか?」

うなずいたら、知らずに溜まっていた涙がこぼれ落ちた。

「俺が好きなのは小花だけだよ。だから何か考えてるんだろうなって、ずっと待ってた」

またわたしの頭の中で、小田和正が流れ出した。
今度は啓一郎さんとの出会いから、今この瞬間までの。