たったこれだけの会話で、もう家には着いていた。
朝の時間は金より大事だから、引き留めるわけにはいかない。
じゃあ、と帰ろうとすると、

「小花」

と珍しく呼び止められる。
何かを期待して胸を高鳴らせるわたしに、啓一郎さんは少し照れたようにうつむきながら言った。

「女のひとって、何をもらったら喜ぶのかな?」

秋どころか、真冬の寒風が心臓を抜けて行った。

「………そんなの、人それぞれでしょ」

わたしの声も吹雪のようだった。
悩んでいる啓一郎さんはそれに気づいた風ではない。

「それはそうなんだけど、参考までに聞きたくて。他に相談できる人もいないし」

それでもよりによってなぜわたしなのか。
イライラしすぎて、さっき食べたばかりの白っぽい朝食が逆流してきそうだ。

「職場にも女のひとはいるでしょ? あとはおばさんにでも相談すれば?」

「それはできればしたくない。母のだから」

「おばさん?」

なーんだ、おばさんかあ。
“女のひと”なんて紛らわしい言い方しないでよ。
心の中の雪は一瞬で解け、さらさらと春の小川が流れ出す。

「来月末に母が還暦を迎えるんだ。毎年特に何もしてこなかったけど、さすがに無視するわけにもいかないなって」

「……他に相談できる人、いないんですね?」

「職場の人にこんな相談持ちかけたことないし、小花ならうちの母を知ってるし」

「相談乗ります! ちゃんと考えます! だからご飯食べながら話しましょうよ!」

「……目的は食べ物か」

いえいえ目的は……と親切に忠告したがる天使を心の中でタコ殴りにして、無邪気風の笑顔を作り込む。

「気になってるパンプキンタルトがあるんですよね~」

啓一郎さんはくつくつと笑ってポケットから名刺を取り出した。

「何でもごちそうするから、都合いい日連絡して」

裏に走り書きされた文字は、さらさらと書いたにも関わらずきちんと整った文字だった。

「何でもいいんですね?」

「何でもいいよ」

「何個でも?」

「何個でもいいよ。あ、ごめん。もう行かないと」

時計を見て、大股で急ぐ背中に両手を振った。

「行ってらっしゃーーい!」

啓一郎さんは一度振り返って笑ってくれた。

「小花も。気をつけて」

車が出て行くまで見送って、わたしも自転車を引っ張り出した。
身体の内側から溢れるエネルギーのままに漕いだら、ものすごいスピードになり、いつもは降りて自転車を引く橋の上り坂も、その勢いのまま駆け抜ける。

「きゃあーーーーー!」

自転車任せの下り坂で見上げた空は抜けるように青い。
女心と秋の空は、今日も快晴!