「よいしょ! っと」

おばさんの指示を受けつつ鉢を元の位置に戻す。

「ごめんね、小花ちゃん。無理はしないで」

「大丈夫でーす」

膝に不安を抱えるおばさんに無理をさせたくなくて、おじさんとふたりで鉢を運んでいた。
大丈夫、大丈夫と笑顔で安請け合いしたのだけど、持った瞬間予想以上に重くて笑顔が引きつった。
だけど予想より重いなんて言えず、何でもない風を装って作業を続けていたのだ。

「この水、何かに使いますか?」

縁側の脇にあった大きなバケツに雨水が溜まっている。
断水時なら貴重だけど、今回は停電だけ。

「ああ、それ捨てるわね」

おばさんがバケツを受け取ろうとするので、

「あの水道のところでいいなら捨ててきます」

とまたしても安請け合いしてバケツを運んだ。
これまた予想より重い上に縁まで満タンに水が入っていて、フラつくだけで水がこぼれる。
表面張力を刺激しないよう必死に静かに運んでも、靴とデニムに少しだけかかった。
どうにか玄関脇の水場まで運び一気に流すと、ガゴンと勢いのままにバケツが倒れた。
ザッパンと大きく波打った泥水は水場を飛び出して……

「母さん。俺これから……わ!」

タイミング良く玄関から出てきた啓一郎さんにかかってしまった。
グレーのパンツへの被害はよくわからないが、白いワイシャツには薄茶色の水跡が確かに見える。
ごく薄いので数m離れればわからないかもしれないけれど、そういう問題ではない。

「わー!! す、すみません!」

慌てて縁側にあったタオルを押し付けてこすったら、汚れはさらに広がっていく。

「あ……」

泥で汚れた軍手をつけたまま拭いたせいで、余計な汚れを擦りつけてしまったようだ。
もはや数m離れたとしても、はっきり汚れて見える。

「重ね重ねすみません!!」

すがりつくようにシャツを握って謝罪したのに、啓一郎さんは少し乱暴にワイシャツからわたしの手を離して、

「着替えてくる」

とふたたび家の中に戻っていった。

あーあ、すっかり怒らせてしまったよ。
あの夏の日の記憶があるから少しは親しみを持っていたのに、関係性はマイナスに転んだらしい。
ほとんど会うこともないし、嫌われたからといってわたしの生活にさほど影響はないけれど、水を流し終えたバケツは、ガランと悲しげな音がした。

それから少しして、

「あら、啓一郎。仕事?」

庭とは家屋を挟んで反対側にある駐車場の方からおばさんの声が聞こえた。
何か返事はしたかもしれないけれど、啓一郎さんの声は聞こえない。

「信号機も動いてないし気をつけてね。暗くなる前には戻っておいで」

まもなく車のエンジン音がする。
それが遠くなり聞こえなくなるまで、わたしは見えない車を見送った。