あれから津田さんとは会社でも顔を合わせる機会はなくて。
 確かめることも出来ないまま、もやもやとした灰色の感傷を残しながら。気が付けば11月も半ばを過ぎていた。

 それでも自分に出来ることと言ったら、亮ちゃんの部屋で待つことだけ。わたしが週末に外泊するのを、ナオもお父さんも恋人と一緒だとずっと思っているから、相手は同じ会社の先輩だと、まるっきり間違いじゃないことも混ぜて伝えてある。・・・二人に余計な心配はかけたくなかった。





「なあ明里」
 
 そんなある夜。仕事から帰って、リビングのソファでテレビを観ていると。Tシャツとスェットパンツのナオが半乾きの頭でお風呂から出てきて、唐突に言った。

「付き合ってる彼氏と結婚しねぇの?」

 一瞬ドキっとしたけど。いつか絶対に訊かれるって分かってたから、答えはいくつか用意してあった。

「んーでも、まだ一年も付き合ってないしー」

 わざとのんびりした風に笑って返す。

「明里だっていい歳だろ。そろそろちゃんと考えとけよ。今度、連れて来いウチに」

 おっとりのお父さんが何も言わない分ナオはストレートだ、とても。
 
「俺らに挨拶も出来ねぇような男なら、話になんねーからな?」

 隣りにどっかりと腰を下ろして、こっちを見下ろすナオ。

 会社でもフットサルのチームを作ったり、とにかく体を動かすのが大好きなスポーツ青年で。勝っても負けても正々堂々やり切るのが気持ちいいんだって、いつも言ってる。曖昧なのや、筋を通さないのは一番キライ。きっとこんな誤魔化しは、いつまでも通用しないだろうって思う。

「うん」

 素直に返事して、まだ半分嘘を吐く。

「でも今、仕事忙しくて出張も多いんだー。もうちょっと落ち着いたらって思ってるんだけど」

「そっか。じゃあ決めたら言えよ?」

「はいはい。・・・ていうかナオはどうなの? 彼女と結婚しないの?」

 悪戯っぽく覗きこんで逆襲すると。

「考えてるに決まってんだろ、バーカ!」

 照れたようにあたしの頭を軽くぽんと叩いて、キッチンに逃げた。  当たり前にわたしの幸せな結婚を願って、望んでる家族。
 わたしが最初で最後の恋をした相手は。緋色の花を背中に刻んで闇に生きることを選んだ人。
 同じ場所に足を踏み入れることを、亮ちゃんは赦そうとしない。傍にいさせて貰えない。わたしを抱いてくれたけど、恋人って言えるのかも分からない。
 
 ナオ達にわたしが見せてあげられる未来って。

 前に、友達の梓(あずさ)に好きな人が出来た話をした時。ハードルが高そうな人だって言われて、『障害物競争』ってわたしは答えた。
 そびえ立つ巨大な壁の前で、立ち往生している自分の姿が目に浮かぶ。向こう側に行く方法をどうにか探さなければ、亮ちゃんを掴まえることすら出来ない。
 
 何かを引き換えに失う覚悟をするぐらいじゃないと。・・・だめなんだ。

 グラスに注いだミネラルウォーターを一息に飲み干してる、ナオの後ろ姿を見つめ。胸の中でひっそりと思いを結んだ。