千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-

途中地上から多数の視線を感じた良夜は、上空では無防備なため地上に下りて湿気の籠もる鬱蒼とした暗い森を徒歩で進んだ。

狼は狗神姿のままで良夜の前をずんずん進んでいたのだが――雨竜はその背に乗せた籠から頭を出して始終そわそわしていた。


「こら、顔を出すな」


「だって…仲間の匂いがする…」


…ということは、あちらも雨竜の匂いには気付いているということで、良夜は天叢雲の鞘に手を置いて辺りを見ていた。


「美月、足元が悪いから気を付けろ。俺から離れるな」


「はい」


本当に山道が得意らしく、手を引いてやったり肩を抱いたりという良夜が想像していたような甘い展開は一切なく、逆に少し懐かしそうにしていた。


雨竜のごたごたを解決するためにここまで来たのに、頭の中は美月のことでいっぱいになっていた。

…確かに自分は次期当主という身であり、家を存続させるために良い家柄の妻を娶らなければならない。

それもふたり以上は居た方がいいと言われていて、幼い頃からそれだけがものすごく疑問で、何度も父に‟ひとりでいい”と訴えてきた。

美月は――そんなに自分のことを好いていないのだろうか?

運命の男が現れるまでの繋ぎなのか?

そう思うとむかむかが止まらなくなって乱暴な足取りで狼の尻尾を掴みながら歩いた。


「良夜様?どう…したのですか?」


「別に」


「怒っているように見えますが…」


「お前には関係ない」


つい突き放した言い方になったが――心も身体も、全て欲しい。

どちらかを得るのではなく、美月の全てを縛って男の視線に触れさせたくない。

今はいい雰囲気であってもいずれ現れる男に横から掻っ攫われることを考えると、きっと自分はその男を殺してしまうだろうと確信していた。


「良夜様…」


「…」


背後から消え入るような寂しげな声が聞こえたが、振り返らなかった。

今自分はきっとひどい顔をしている――

だから、振り返れなかった。