息子が進言してくれた通り、それから黎は蔵に籠もって準備を始めた。

元々屋敷の持ち主だった者が蔵に蓄えていた金銀財宝は幽玄町を作るため全て使い切ったため、蔵の中はがらんとしていて、どう使うべきか考えた。


「…代々百鬼夜行を受け継いでくれるなら…ここに子孫に遺すべきものを保管しよう」


まず片隅に畳を敷き、座れる場所を確保して牙に机や硯、筆、大量の紙を運ばせた。

紙に書き記したものは年月が経てば薄くなって消える可能性があるため、大量の紙に術をかけて焼こうとしても濡らそうとしても破壊できないようにした。


「まずは…これか」


――神羅と交わした契約書の写し。

人と妖が手を取り合って互いの世界が共存し、争うことのないようにと交わした契約書にもまた術がかけられていて、神羅の流麗な字を指でなぞった。


「…お前の願いは俺の血を継いだ者たちが受け継いでいく。そう在ってもらえるように嘘偽りなく全てを文書にして残さなければならない。神羅…悪いがお前との出来事、全て書き記すからな」


にたりと笑った黎は、大きな葛籠に契約書をそっと入れると机の前で腕を組んで瞑想を始めた。

実家から蔵で長い間ずっと封印されていた天叢雲を持ち出し、放浪している間に狼と玉藻の前と出会い、浮浪町と呼ばれていた汚い町に来て――神羅と出会った。

当時食ってやろうと同じように神羅を狙っていた妖を討ちに行った出先で澪と出会い、親が決めた許嫁が澪だった時の衝撃よ――

あの時すでに神羅に心が傾いていて、澪との三角関係にそれぞれが不安を覚えたこと…


「思えば色々あったものだな」


そこからは、思い出すのもつらい出来事の連続だった。

黎は何度も何度も筆を止めて畳の上に寝転がり、もがき苦しんだ。

意識的に思い出すまいと封印していた神羅との一夜――

そこで完全に筆が止まった。


「神羅…!」


どれだけ手を伸ばそうとも、もう傍には居ない。

黎は畳に爪を立てて掻きむしりながらも、後世に遺すため諦めるつもりはなかった。


「黎さん…大丈夫かな…」


蔵に近付いてはいけないと言われていた澪は、母屋で黎を想っていた。

だが黎は――

それからひと月もの間、蔵から出て来なかった。