黎に実母以外の妻が居たこと自体は知っていた。

だがそれを訊こうとすると、黎も澪も口が重たくなるため、幼心にこの話は訊いてはいけないものだと理解していた息子は、黎の話を最初から最後まで黙って聞いた。


「…以上だ。我が家は古来に呪いを受け、子をひとりしか授かれない。…お前には兄が居た。だが死に、お前が産まれた」


「そこは分かりました。俺が知りたいのは人だった方の妻の話ですよ。父様が体調を崩す時はそのもうひとりの母様が理由だったんですね?」


そうだと呟いた黎は、また胸がきりりと痛んで手で押さえると、目を伏せた。


「神羅も澪も俺の妻であり、お前には俺と神羅が交わした約束を果たすため百鬼夜行を引き継いでほしい。…頼めるか?」


――幽玄町には罪人が住み、心を新たに入れ替えて見違えるように善人になる者も多い。

幼い頃から人と同じ町で暮らしてきた息子は、黎が今にも命を落としそうに見えて不安になって、膝の上で真っ白になっている黎の拳をそっと握った。


「任せて下さい。母様と交わした約束は必ず俺が果たします」


「…神羅を母と言ってくれるのか」


「当然でしょう?ああそうなんだな…今ようやく全てが繋がりましたよ。父様が時々母様にとても申し訳なさそうにしていること…母様が父様はこんなにも強いのに、いつも労わって包み込むようにして差し上げていたこと…もうひとりの母様の存在があったからなんですね」


俯いていた黎の表情は少し長い前髪に隠れて見えなかったけれど、黎の手を握ったその手にぽたりと雫が落ちた。

なんとも居たたまれなくなった息子は、少しでも黎の心の負担を軽くしてやろうと握った手を揺さぶり、明るい声で励ました。


「俺にもうひとりの母様の話をもっと聞かせて下さい。さぞきれいな方だったんでしょうね」


「…ああ、そうだな、美しかった。…美しかったから、儚く死んでしまったんだろうな」


息子が跡を継いでくれると決心してくれたことで不安がひとつ減った黎は、女の澪には話せないことも息子に言って聞かせた。

澪はそれをこっそり聞きつつ、縁側でふたりが話している間に居間にそっと茶を置き、立ち去った。


「黎さん、良かったね」


話を聞いてくれる者が多い方がいい。

庭には獣型になった玉藻の前や牙も居て、そっと黎に寄り添っていた。