決して結ばれることのない、赤い糸

2人とも心身ともに病み、わたしを見るとなっちゃんの生まれたときを思い出してつらいのだと。


そして、養子に出す手続きをしているとき、わたしのお母さんがその手続きの書類を破り捨てた。


「かりんは私が育てる!」と言って。


なっちゃんが亡くなり、わたしが生まれたとき、お母さんはまだ21歳だった。

短大を卒業して、社会人になったばかりだった。


お母さんがわたしを引き取ることに反対したおじいちゃんとおばあちゃんだったけど、お母さんは無我夢中でわたしのために働いてくれた。


そのときのことがきっかけで、おじいちゃんとおばあちゃんとは縁を切ったのだという。


だけどそのおかげで、わたしは優しいお母さんのもとでたっぷりの愛情を注がれて育った。


――そして、今に至る。



「夏美と隼くんの双子が、それぞれなんという名前でどこで暮らしているのかはお互い知らなかった」