塾の授業中に、考えていたのは今日のお昼休みに佐倉咲が言っていたことだった。

1年生の初夏に見つけた非常階段で、
長い間1人でお昼休みを満喫していた。

その長く続いた日常に、小鳥が舞い降りるように飛び込んできた1つ年下の佐倉咲。

彼女もまた、私と同じでただ教室の喧騒から流れているのだと思っていた。


昼休みにお弁当を食べながら、
田中君の話をしたがる佐倉咲を不審に思わなかったのは、

佐倉咲も私と同じで、
他人に自分を明かしたくないから
自分の話題を避けているのだと思っていた。


私も、個人的な問題を彼女に明かすつもりは全くなくて。だから、彼女の冗談に付き合っていた。


何かあるたびに「田中先輩と何かあったんですか?」と冗談のように言っていた佐倉咲。


その言葉は本当に冗談だと思っていた。


けれど佐倉咲は噂の真相について私が何か知っているかカマをかけてきた。


デマだと分かりきった噂話をどうして調べようだなんて考えるのだろう。


思えば、彼女は噂の話を何度となくしていた。

会ったばかりの頃も私の噂について

「まぁ、いい気味ですよね。
みんな、ありもしない噂に踊らされてるんだ。」

なんて自分も噂を信じていた割にあっさりその姿勢を覆していた。


私は更に佐倉咲との会話を思い出そうとした。
すると、昨日彼女が言っていた「他の噂」について、それらしきことを以前彼女が言っていたこと
を思い出したのだ。


それは少し前、肌寒くなる前の曇りの日だった。


「どうしてそんなに、
噂を気にせずにいられるんですか?」

「え?」

佐倉咲の言いかたが、
まるで私が何も気にせずに心からお気楽に過ごしているみたいな口調で話し始めていて、
少しだけイライラした。


だけど、
佐倉咲はいつもの悪戯する前の憎たらしくも、
どことなくかわいい笑顔じゃなくて、
柄にもない真剣な表情でうつむいていた。

その表情に、彼女の状況の深刻さを悟った私は、必死に今を淡々と進み続ける理由を探し出した。


「高校生活にもう期待してないからかなぁ」


そう、これだ。

まさにこれ。
田中君の噂が立ち始めるまで私は、不愛想とかノリが悪いとか「まじめ」過ぎるとか、そんな悪口が聞こえる所で間接的に聞こえてくるのは当たり前だった。

今自分の行動を思い出すと、少しは悪かったと思うこともあった。だけど、理不尽なことの方が多かった。


気がつけば、心のままに佐倉咲に話していた。


途中で自分の話を人にするなんてらしくないなんて思いながらも、彼女に語っていた。


「今年の春に噂を聞いた時は、みんな私と田中くんのことをからかってるのかと思ったよ」


そう言うと彼女は声を出して楽しそうに笑った。


「まあ、ほとんどの人が今もからかってるんだろうけど。でも、今はそれなりに快適だよ。」

「でもその前は…?」


ただその一言で、二度と思い出したくない過去に、引きずり込まれそうになる自分に驚いた。


「陰口なんて負けを認めた奴が言うことだから何も思わないよ」

まるで自分を律するように言っていた。


いつになく気の抜けた佐倉咲が真剣に私の話を聞いていてお互いにらしくない。
なんて無駄に客観的なツッコミの言葉は喉の奥にとどめた。


「私、先輩みたいに頭よくないし、だから評判とか気にしちゃうのかも」


心の中で勉強すればいいのにと思ったが、だけどそれを言葉にすると面倒なことが起こりそうだと経験上学んでいた。

私は頭が良いのではなくて、勉強に時間をかけているだけだから。


それを佐倉咲にどう言えば嫌味なく伝わるのか、分からずに言葉を選んでいた。


すると佐倉咲もいつもより口が軽くなっていたのか、非常階段(ここ)に来る理由のようなものを話し始めた。


「どこから流れた噂なのか分からないですけど。私が夜な夜な隣の町に出て遊んでるって噂が流れてて」


「え?」
「スカート短くして、化粧してるって」

「でもそれ、放課後だから服装は自由なんじゃないの?」

「そうですけど、そうじゃなくて。
それ、私じゃないんです」


その先の話は誰もが気になるだろう。


普段なら確実に最後まで話を聞くのだけれど、
その時は、予鈴のチャイムが全てを遮ってしまった。

その話を聞いた当時は、彼女が誰かの嫉妬の餌食になっているのだと思っていた。


佐倉咲の噂で最も皆が食いつくポイントは、
彼女が化粧をしていたことや、
派手な格好をしていたことではない。


彼女が『夜の隣町で遊び歩いている』という部分が佐倉咲は「遊んでいる女」だという噂を誰かが彼女の評判を落とすために流しているのだと思っていた。



「それ私じゃないんです」
彼女はチャイムが鳴る前にそう言っていた。
噂はでっち上げられる時もある。


だけど、今その話が私にとって別の意味がある可能性に気がついてしまった。


鞄の中にあるカツラ。
偶然にも、出会った頃の彼女の髪色とどことなく似ている。

そして、お気に入りの赤リップ。
この赤は、夜の街でもはっきりと化粧をしていると分かるから選んだ。



私の自由への探求と好奇心が、まさか回り回って佐倉咲に迷惑をかけるなんて思いもよらなかった。


だけどまだ、その噂の源がどこから出たのかは分からない。だからそれが私だとはまだ決まっていない。


もしかすると、最初に思った通り、
佐倉咲を陥れようとする何者かの仕業であるかもしれないのだ。


私はそう自分に言い聞かせ、
いつも通りの自分を取り戻し何事もなかったように、あの格好で夜の街を歩いた。