今日も小雨の中、赤い折り畳み傘をさして青になった信号を渡った。
有り難いことに、塾に毎日通うようになっても一度もクラスメイトや知り合いに出会ってしまうことは無かった。
この格好を始めて随分経ったような気がしたけれど、実際1ヶ月も経っていない。
でも、この化粧もカツラもスカートの長さも全部、私が決めた本当にやりたい事だった。
制服のスカートも短い方がバランス的にかわいいし、元々色白な私は黒髪よりも薄いベージュの方が似合っている。
目立ちたいからではなくて、この方がしっくりくるのだ。それに何だか強くなった気がする。
身なりに手間をかけてる暇があれば勉強しろというが、これくらいの少々の手間は勉強の邪魔にはならない。先生や大人はどうして私たちを縛り付けて管理したがるのだろう。
デパートのショーウィンドウの飾り付けは照明でキラキラと光り輝いている。
やりたい事を我慢し息をひそめて生活するのは窮屈だ。以前はそうすることで誰からも睨まれないことに安心していた。
だけど、私はもう誰かに好かれるために生きていない。私のために生きているの。
私の周りのその他大勢達は自己中心的という言葉が悪口だと勘違いしている。
以前は私もそうだった。
合わせられないから悪い、他と違うからダメ。
でも、嘘までついて周りに合わせても、心には虚しさだけが残っていた。
自分中心で何が悪い。
生まれた時から死ぬまで私は私にしかなれないのだから。
誰かのためだなんて、
そんな恩着せがましい言葉にも反吐が出る。
私のためだという言葉にどれだけ傷つけられただろう。「朱莉ちゃんが」「朱莉ちゃんのために」そう言う母の顔が私の脳裏に浮かぶ。
他人を自己チューと責める輩こそ自己中心的なのだ。
それがここ最近の私の心情だった。
けれど、
きっと佐倉咲は、そうは思っていないのだろう。
佐倉咲は髪を黒に染めてからというもの、非常階段にやって来る頻度が明らかに増えていた。
彼女は非常階段では時々スレた事を言いつつも、クラスでは上手くやってると思っていたがそれは違っているようだ。
いや、厳密に言うと表面的には上手くはやっているのだろう。しかしどうやら、佐倉咲も馬鹿や鈍感でははないらしい。
この学校の他人の心配を私がするなんて去年なら思わなかった。なぜ彼女の心配なんてしているのだろう。
赤い折り畳み傘を屋根の下で畳みながら、ふと塾が入るビルの自動扉に一瞬映った自分を見た。茶髪の私はいつもより笑っているような気がした。