南門を出てすぐの坂道を下る。

それはいつも通りだけど、一つだけいつもと違うことがあった。


それは私の右側を歩く田中君。

どういうつもりか、私に声をかけて小走りで近づいてそのまま、流れで一緒に帰ることになってしまった。話すことも聞くことも私には何もないのに。

「先輩?」

「そ、先輩が困ってるときは俺が助けるし、
俺が困ってるときは先輩に手伝ってもらってんの」

田中君は前を見たまま続ける。

「ほら、俺さ、結構勉強出来るから。だから予習。」

そう言った手にはテキストが数冊握られていた。


よく見るとそれは数Ⅲのテキストで、田中君に積極的には関わりたくないと思っていたのに、自然と会話を始めてしまっていた。


「それ、数Ⅲのテキストだよね?」

「おお、あいつら私大の文系受けるから数学いらないって」


田中君も私も自分から話さない分、会話はそこまで続かなかった。かといって田中君にさよならを言って足早にその場を去るほど、これ以上早く歩く自信もなかった。


信号を待っている間は地獄のようだった。


ただ黙って信号を待つ私たちの目の前を、
小学生が奇声を上げながら楽しげに横切っていく。

そんな様子に、私も彼らのように走り出せたらとさえ思ったりもした。

大きな交差点の信号を渡り切ったところで、
田中君は「じゃあ、俺こっちだから」
そう言って控えめに手を挙げ、先を急ぐように歩いて行った。


そして、私は田中君の屈託のない笑顔と、数Ⅲのテキストの表紙が、脳裏にこびりついたまま、いつもよりゆっくりと坂道を下った。