「先輩…」
佐倉咲はコーンやらバトンやらが乱雑に入った大きな台車を重そうに押していた。
「お疲れさま、その後どうだった?」
さりげなく並んで台車を押すのを手伝いながら、聞くと佐倉咲はあいまいに笑った。
「効果はありましたよ」
「良かった。やっぱり噂の田中君ってすごいんだね」
私が能天気に言うと佐倉咲は台車を押していた手を止めて私の顔を見た。
「先輩…」
彼女の顔を見て驚いた。
佐倉咲の顔が異様に青白く不安げだったからだ。
「どうしたの?」
迷うような表情で彼女は口ごもった。
視線はきょろきょろと泳いでいて、そのそぶりは全く彼女らしくない。
「先輩は本当に何も知らないんですか」
どこか慎重に言葉を選ぶ佐倉咲を、私はまじまじと見た。
「知らないって何のこと?」
「田中先輩のことです」
その一言に妙な緊張が漂う。
「噂なら」
「田中先輩が本当はどんな人かとか、誰と仲良いとか」
「どうして?」
そう言いながらも、私の脳裏には田中君の優しい笑顔とか、白い肌とか、器用そうな指先とか、窓辺の席で揺れるサラサラの髪を思い出していた。
好きとか嫌いとかそう言うのじゃなくて、
人間のタイプとして田中君の正義感がいくら強かったとしても、暴力なんていう野蛮な解決手段をとるタイプだとは考えられない。
ヤンキーとか暴力とかそういう類いの言葉から程遠い人だから。
「もしあの噂が本当で、先輩がそれを利用してるって田中先輩が知ったら私も先輩も…」
「それは、きっと無いよ」