天満つる明けの明星を君に【完】

海を隔てた日高という場所に、朔が懸念している出来事が起こっていた。

とある妖が人に親切にしていて、そして親しくなったところで襲い掛かって食ってしまう――

近辺の村々をそうして回り、被害が拡大しつつあるとのことで、そう書かれてある朔の文を受け取った天満は庭で身体を動かして日課を行った後、遅れてやって来て縁側に座った雛菊に笑いかけた。


「雛ちゃんおはよう。よく眠れた?」


「うん。ぐっすり眠れてびっくり」


「緊張してるとぐっすり眠れないもんね。もうちょっとゆっくりしてから行こうか」


雛菊の身体はいつも緊張していて固く強張っている。

だが今は身体から力が抜けて落ち着いているように見えて、刀を鞘に収めた天満は額を伝う汗を拭ってぱたぱたと手で顔を扇いだ。


「ちょっと風呂に入ってくるからゆっくりしてて」


「うん。朝餉の用意してるね」


縁側から上がって雛菊の脇を通って居間を抜けて風呂に向かった天満からいい匂いがして、思わずくんと鼻を鳴らした。

汗の匂いはいやな匂いではなく、むしろ花のようないい匂いがしてまだくんくん鼻を鳴らしていた雛菊は、急になんだか恥ずかしくなって首をぶるぶる振った。


「何やってるんだろ…私…」


天満の風呂は長い。

縁側に座ったままぼんやりしていた雛菊は、こんな穏やかな時を今まで過ごしたことがなく、目を閉じて日向ぼっこをしていた。


――ぞわり。


だがそうしているうちに、全身に鳥肌が立った。

はっとして目を開けた雛菊は――まだ遠くではあるが、こちらに向かってゆっくり近づいて来る駿河の姿を見て、腰を浮かしたものの尻もちをつきながら後退った。


「だ…旦那様…っ!」


何をしに来たのか?

連れ戻しにやって来たのか?


「いや…っ、いや…!」


悲鳴が喉から競り上がってきて、無意識に何度も何度も、名を呼んだ。


「天満様…天満様…っ!」


名を小さく叫び、よろけながら風呂場に向かった。