天満つる明けの明星を君に【完】

「天満様は…どうして鬼陸奥に来たの?」


「朔兄にここに行けって言われたから。北の方は都から離れてるからなかなか目が届かないし、今後は多分僕が北を管轄するんだと思う」


「そう…」


肩を並べて歩きながらも天満は辺りを慎重に窺っていた。

特に妙な気配はなく、町から離れた田舎の方には不穏な様子はない。

やはり主に繁華街――特に宿屋を中心に調べなければならないな、と思いながらさらに奥の方へ進んでいくと、緩やかな上り坂があり、その先に泉があるのだと雛菊が教えてくれた。


「雛ちゃんはよくここに来てたの?」


「うん、旦那様に嫁いだ時によく一緒に来てたの」


そっか、と相槌を打った天満は、あの優男が雛菊に暴力を振るっているとは思えず、腰に差している刀を外して肩をとんとん叩いた。


「最近は一緒に来てないってこと?」


「…旦那様は忙しいから」


またそっか、と相槌を打って深追いしせずに泉の前に着くと、澄んで底まで見える泉に膝まで足を浸して雛菊に手を差し伸べた。


「雛ちゃんも入ったら?」


「う、うん」


雛菊が薄桃色の着物の裾を捲り上げて膝まで露出させると、天満は目を泳がせてなるべく見ないようにして、淡い光を放ちながら飛んでいる名も知らぬ虫の光を見つめていた。


「雛ちゃん、僕これから多分忙しくなるんだ。家を空けることも多くなると思うんだけど…いつでも来ていいからね」


「…え?」


「例えば独りになりたい時とか。泣きたい時とか。僕が居る時は一緒にご飯を食べたり酒を飲んだりしよう。あ、風呂も勝手に入っていいから」


――身内から暴力を振るわれていることに気付かれてしまった雛菊は、避難場所を提供してくれようとしている天満の心遣いに視界が歪んだ。


歪んで――溢れた。


「…雛ちゃん…」


「ごめんね、ありがとう…天満様…」


「…うん」


天満様、と呼ばれる度に胸がざわつく。

誰に呼ばれても感じることのないざわつきに、天満は胸元をぎゅっと押さえてまた虫の光を見つめた。