実は一家全員が風呂好きだ。

一日に二度は必ず入るし、弟妹たちで大騒ぎしながら入るのも好きだ。

だが――今日からはひとりで静かにじっくり風呂を…しかも温泉を楽しむことができる。


「贅沢だなあ…でもだんだん寂しくなってくるのかな」


兄弟が多いため、静かな空間というものはほとんど味わったことがない。

元々物静かな性格のため、ひとりは苦ではないが、知らない土地のためまだやや緊張していた。


「風呂も入ったしご飯も食べたし…少し外に出ようかな」


本来妖は夜に活動するのだが、半妖の天満はあまり夜に外出したことはない。

活動するのはもっぱら日中で、本来妖は日中に力が半減するのだが、それもない。


「…ん?誰か来た…?」


玄関の戸を何者かが叩いている音が聞こえた。

気配を絶ち、髪を拭きながら近付くと――小さな声が聞こえた。


「ごめん下さいまし…」


「え…女の人…」


自分の世話をしてくれるという若旦那が来たのかと思っていたが――

この地に知り合いは居ないため、少し逡巡して手を差し込める程度に戸を開けると…顔が見えた。


「天満様…お久しぶりでございます…」


「え……っ。えっと……えっ?もしかして…雛ちゃん!?」


風呂敷を手に玄関に佇んでいたのは、幼い頃一度だけ会ったことのある雛菊で、あの頃よりはだいぶ大人びていたが、相変わらず愛らしさが際立つ風体に、顔が綻んだ。


「覚えていてくれて嬉しいです。一度お会いしただけなのに」


「もちろん覚えてますよ。えっと…とりあえず上がって上がって」


お邪魔します、と控えめに囁いた雛菊が草履を脱いで上がった。

天満は先行して歩きながら肩越しに振り返った。


「若旦那が来るかと思ってたけど」


「旦那様はお忙しいので私が。というか、主さまから私が指名されましたので…」


旦那様――

天満が足を止めて振り返ると、雛菊は俯いて小さく笑った。


「天満様が若旦那と呼んでいるのは、私の夫です」


「あ…そっか、嫁いだんでしたね。幸せそうで良かった」


「…」


天満はその沈黙に気付けず、雛菊を居間に通した。

久々の再会に喜びが勝ってしまい、雛菊の表情が翳ったことに気付けずにいた。