天満つる明けの明星を君に【完】

昏睡状態に陥った天満を背負って別室に移動させようとした時――晴明の様子がおかしいことに気付いた。

目で何かを追っているようなのだが、それは朔には見えず、眉間に皺を寄せて人差し指を唇にあてている晴明は真剣そのものだった。


「これは厄介な…」


「お祖父様?」


「主さま、動くな。何かが居る」


部屋の隅に居た雪男が気色ばんだ声を上げた。

それはとても珍しいことで、思わず身を固くした朔は、きょろりと辺りを見回した。


「お祖父様…なんなんですか?」


「…雛菊の魂がまだこの部屋に留まっているのだよ」


「…え?」


「どうしたことか、輪廻の輪に還ることができず彷徨っている。…朔、見なさい」


床に横たえさせた雛菊の骸を指した晴明は、朔にその骸に触れぬよう注意すると、血管に走っている黒ずんだものを見せた。


「‟闇堕ち”した者に呪いをかけられると、こうなる。さしずめ天満と再び巡り合わぬよう呪われたのだろう。故に魂が浄化できず彷徨っている。ああこれは…大変なことになる」


烏帽子を外した晴明は、狩衣の長い袖を払って両手を合わせて目を閉じた。


「朔、私はこれから速やかに雛菊の御霊を浄化する術式に入る。終わるまではこの部屋に入ってはいけないよ。あと用意してほしいものがいくつかあるから、それを頼む」


――雛菊の魂がまだここに在る――

駿河に強力な呪いをかけられて安らかに眠ることも適わず、一体どれだけ雛菊と天満を苦しめるつもりなのか――


ぎり、と歯噛みした朔は、天満を背負って小さく頭を下げた。


「どうか雛菊をよろしくお願いします」


「できる限りのことはやろう。そなたはそれまで天満の傍に。目を離さぬように」


眠りをより深くする香を晴明から渡された雪男が朔を庇いながら部屋を出ると、打ちひしがれた天満の顔を見た雪男は、手の甲で乱暴に目元を拭った。


「くそ…っ、何が起きてるんだ…!?」


「…きっとお祖父様が解明して下さる。俺たちは天満の傍に居てやることしかできない」


無力だ。

朔もまた視界が滲むのを感じながら、天満を床に寝かしつけた。