天満つる明けの明星を君に【完】

天満と雛菊は――宿屋の前で茫然と立ち尽くしていた。

戸は固く閉められ、暖簾は下げられていない。

灯りもついておらず、誰かが居る気配もない。


「これは…どういうことかな」


「まさか…逃げ…た…?」


駿河の母とはここを出る時すれ違ったが…あの時の表情、ぎくりとした表情で何かを知っている風だった。

それはもちろん雛菊への暴力もあるのだろうが…それだけでこんな夜逃げみたいにして居なくなるだろうか?


「中に入ろう」


「え…でも…」


「雛ちゃん。ここに何かあるはずなんだ。僕ひとりでもいいけど、ここで待っててくれる?」


急に心細くなった雛菊が首を振って右腕に抱き着いてくると、天満は左手で刀を抜いて戸の隙間に差し込んで縦に下ろした。

すると錠は簡単に切れてしまい、真っ暗な室内に入って大きな幾重もの梁を見上げた。

まだ足の萎えがちな雛菊を抱き上げて階段を上がった天満は、油断なく辺りに目を光らせながら最上階を目指した。


「怖くない?大丈夫?」


「うん…大丈夫」


そうは言ったものの…雛菊の身体は小刻みに震えていた。

とても怖い思いをした記憶が蘇ったのか――目も唇もぶるぶる震えていて、最上階に着いて凌辱の限りを受けた部屋に着いてしまったら雛菊が壊れてしまうかもしれないと思うと、足が止まった。


「天満様…?」


「…君は行かない方がいい。ここに座っていて。すぐに戻るから」


「いや…!私も、連れて行って…」


雛菊が泣きそうになりながら首にしがみ付いてくると、天満はそれを痛ましく思いながら歩を進めた。


「僕は雛ちゃんが壊れてしまうんじゃないかと思うと…怖いんだ」


とても小さな声で呟いた天満の胸に頭を預けた雛菊は、目を閉じて首を振った。


「もうこれ以上は壊れないから大丈夫」


自虐的だが表情はそんなに暗くはなく、最上階に着くと、足を止めて再度問うた。


「本当に大丈夫?」


「天満様しつこい」


「僕って心配性なんだ」


雛菊を信じて室内に踏み込んだ。