じゃあ、と軽く手を挙げて幽玄町に戻った朔を見送った天満は、雛菊とふたりきりになってようやく一息つくと、熱い茶を淹れてもらって寛いだ。


「朔兄もうちょっと長居すればいいのに」

「主さまもお忙しいんだよきっと。ああでも…すっごく素敵になっててちょっとどきってしちゃった」


それを聞いた天満はむっとなって茶を口に運びつつ正面に座っていた雛菊を上目遣いで軽く睨んだ。


「朔兄は確かにものすごくいい男だけど、雛ちゃんああいう感じの男が好きなの?若旦那とはだいぶ違うけど」


「!だって…旦那様とは…選択肢がなかったから…」


「…ごめん、ちょっといじめちゃった。でも最初は朔兄のお嫁さん候補として屋敷に来たんだったね」


「うん、私も知らなかったの。小さな頃から素敵な方だったけど、でも私…」


一旦言葉を切った雛菊は、きょとんとした顔で待っている天満をちらりと見てすぐ俯いて蚊の鳴くような声で告白した。


「私…天満様と遊んでる方が楽しかったから」


「そ…そっか…僕も雛ちゃんと遊ぶの楽しかったよ。うちは女の子が遊びに来るなんて滅多になかったから」


――ふんわりした時が流れて、こういう風に穏やかに暮らせたらいいなという思いと、戦いの最中に身を置いて、一時も隙を見せず集中を強いられる時にしか感じることのできない高揚感ある生き方をしていたいという相反する思いが交じり合っていた。

「あのね、天満様。ひとつだけ訊きたいことがあるんだけど」


「うん?」


「あの…天満様が酔ってて覚えてないっていう夜の話なんだけど」


「…うん」


「本当は…覚えてたりするんじゃない?私が何をしたか…」

…本当は全て覚えている。

全て覚えているからこそそれに応えてしまい、数日間逃げ続ける羽目になってしまった。

だが雛菊が勇気を振り絞って問うてきている今、とぼけることはできない。


「うん…ごめん、実は覚えてた」


正直に答えると、雛菊は両手で顔を覆って前のめりになってうずくまってしまった。

天満は湯飲みを置いてその肩にそっと触れて――抱きしめた。