名取くん、気付いてないんですか?



 今朝は雨が降っていたので、駅まで親に送ってもらって登校していた。ぎゅうぎゅう詰めの電車内に押しつぶされないよう壁際に寄って、鞄でスペースを作る。


 あっ、あそこの女の人、浮いてるよ! 背が低いと、ああいうことが起きるから怖いよね……。こうして見ると、葵ちゃんが電車の線違ってよかったって思うよ……。


 なんて考え事をしていると、電車がぐらりと揺れた。大きな人の塊は同時に同じ方向へ傾き、わたしもバランスが崩れそうになる。驚いて思わず両手に抱える鞄をぎゅっと抱きしめると。


 バンッ! という音と共に、わたしの顔の横に手のひらが伸びてきたのだ。



「わっ!」



 驚きが正常値を越え、体が硬直する。こっ、こわ……もう少し右に顔があったら、ひねり潰されるところだったよ……。



「あ、朝霧……」



 そしてその腕から体がにゅっと伝わって現れたのは、和久津くん。わたしを見つけて、気まずそうに自分の伸びた腕を見た。


 えっ、この腕、和久津くんだったんかい……。わたしを押しつぶす勢いだったんだけど……。知り合いだと、余計に恐怖と怒りが沸いてくるんだけど……。


 あっ、ていうかこれ……。



「壁ドンだ」



 ぽつりとこぼす。わたしの頭は、妙に冷静だった。それは、和久津くんに対する怒りや、わたしの初壁ドンを和久津くんに奪われた怒りによるものに違いない。くそう! わたしの初壁ドンは、名取くんがよかった!



「……あー、ごめん、朝霧」


「今すぐ名取くんに変身してもらえませんか?」


「ごめんって……」


「じゃあ今すぐ名取くんになりきってください」


「意味わからん……」



 ……おまえはわたしの気持ちが一ミリもわからんのかーーー!!!


 初壁ドンを奪われ! ひねり潰し未遂! ここまでして、わたしの言うことが聞けないっていうんかーーー!! こちとら真顔で言ってるんですけど!? 大まじめに言ってるんですけど!?


 それができないなら、今すぐ名取くんを寄越せやーーー!!


 はぁ、はぁ……疲れた。いや、本当に言ったわけじゃないけど。電車内で突然大声で叫ぶのはマナーが悪いし。あれだ、心身の疲れってやつ?


 ひとりで心の中騒いでいたからか、何か言いたそうに呆れた目で見下ろしてくる和久津くんに反応するのが少し遅れてしまった。



「……朝霧ってまだ大和に告ってないの?」


「うごっ!? な、なにお!? なにを言っているの!? キコエナカッタナー!?」


「ああ……まだなのな」



 い、いや、ありますけど!? 一回だけ、ありますけどぉ!? 勘違いだったけど! 思いっきりすれ違ってたけど! でも、そんなの関係ないもんね、わたしは告白したつもりだったもんね!


 ……まぁ伝わらないと、意味ないんだけどね。



「ふーん……よかった」



 えっ、よかったってなに。全然よくないんですけど。そりゃ和久津くんからしたらいいのかもしれないけど、わたしはよくないんですけど。


 プシューと、降りる駅で電車の扉が開いた。ぞろぞろと出て行く人の波に流れて進んでいると、いつの間にか和久津くんとは離れていた。


 え、えー……。なんか、ぽっかり胸に穴が開いた気分。置いて行かれた気分。


 わ、わたし……ちゃんと名取くんと進展できてるよね? え、できてるんだよ……ね? ……できてるのかな。


 もぉー! 和久津くんのせいで、また不安になってきたじゃないかー!