小学四年生のときの話だ。


 忍者が好きだった。謎に包まれた素性、かっこいいのに静かな忍術。その全てに魅力を感じ、魅了されていた。


 まだ子どもだった俺にわかるわけがない。……それは、間違っていたのだ。



 俺のクラスにはよく見るとかなり可愛いと評判の女子がいた。


 彼女に好意を持っていた友人からは、今日彼女が何をしていて可愛かっただのあのときは話しかけるチャンスだっただの一瞬目があっただの、到底興味のない話ばかりされていた。


 仕返しとばかりにこっちからも忍者について熱く語ってみたがやはり反応は薄い。これで俺の気持ちがわかったかと聞くと頷いたのだが、次の日には忘れたように彼女について話しかけてきた。


 もうこちらが折れる他はなく、適当に相づちを打ってやり過ごしていた。


 その女子の名前は、八雲葵。友人は俺が彼女の名前を知っていたのに驚いていたが、さすがに俺もクラスメートの名前くらいは覚えている。


 確かにみてくれは悪くないと思った。ストレートロングな黒髪は崩れる気配もなく、透き通る白い肌と大きな目は群を抜いて目を引く。


 だが、それでも興味は持てなかった。理由はわかっている。


 彼女には友達がいなかったのだ。


 ひとりで行動している姿しか見ない。それゆえ表情筋が働くこともなく、人を寄せ付けまいとしていた。……まぁ、ひとりで笑っていたならそれはそれで気持ち悪がって遠巻きになるだろうが。


 どうもつまらなそうな人間に見えて、結果彼女はつまらない人間だった。せっかく勇気を出して話しかける人が出てきても睨みつけるばかりで、コミュニケーションをとる気がない。


 俺はそんな彼女にイライラしていた。興味がない、というよりは、むしろ普通に嫌いだったと思う。


 顔だけ無駄に良くったって良いことなんてないのだ。世間で美少女とやらがもてはやされているのは、それなりに自分を見せる努力をしているからなのだと小学生ながらに覚えた。



「八雲ってウザいよね」


「そうだよね、この間も村井くんが話しかけてくれてたのに、無視だよ。ガン無視」


「うっわ、サイテー」


「ちょっと可愛いからって調子乗ってんだよ」



 だから影で悪口を言われるのも当然だと錯覚していた。俺は俺で忍者に没頭していたし、関係のないことだと。



※ ※ ※



 休日に家族が忍者村に連れて行ってくれることになった。

 胸躍りながら入場してエリア内を駆け回る。迫力満点のショーは興奮してしばらくしても熱は治まらなかったし、忍者がいたとされる屋敷見学には驚かされた。特にあの、壁が回転して姿を消すやつ。体験時間にはもちろん手を挙げて参加した。


 あれやこれやと堪能して、最後にお土産コーナーに行った。俺はどうしても手裏剣とクナイが欲しかったが、これが意外と財布に痛いらしくどちらかひとつに絞らなければならなくなったのだ。


 いくら考えても、決められない。値段は違えど俺にとってはどちらも最強に格好いい同価値のもので、もう一度両方買ってもらうように検討してもらおうと、いつの間にか俺から離れていた親を手裏剣とクナイ両手に探し回る。


 
「———ん?」



 ふと、見覚えがある後ろ姿があった。


 その正体に気づいた俺はあからさまに「ゲッ」と嫌な声を出すと、ゆっくりと後ずさる。


 ——よしよし、気づくな、絶対、気づくなよ~。


 そう念力を送り、ゴキブリに対するように目は離さず遠ざかることに成功した。


 あぶない。まさかあいつも忍者村に来てるなんて。なんだ、忍者好きなのか?


 ……いや、全然楽しそうに見えなかった。いつも通りつまらなそうにふらふらさまよってるだけに見えた。うん、そうだよな、ありえないよな。



 結局親に妥協はしてもらえず、値段が比較的安い方の手裏剣だけを買って帰ったのだった。


※ ※ ※


 学校帰り。友人と別れてから、いつも通りのルートで歩いていた。


 そろそろ年季の入った遊具が危ない、けれどもその危険な香りが格好いい、と密かに人気のある公園の横を通り過ぎようとして、



「うわ……だから、なんなんだよ……」



 またもや俺は嫌悪感丸出しで公園内を見ながら立ち止まった。


 見てしまった。これで二回目だ。——八雲が学校外でひとりなのを見るのは。


 砂場で山を作って、下の方に穴を掘っている。おそらく、トンネルを作ろうとしているのだろう。


 そこで、俺は驚いた。今までひとりでつまらなそうに歩いているのは見たことがあるが、ひとりで遊んでいるのを見るのは初めてだったからだ。


 だけど遊んでいるにしては、どうにも楽しさの欠片も感じられない。


 そりゃそうだ、ひとりで遊ぶことの何が楽しい。しかも外で。公園で。ゲームとかならまだわかるが、人となんの感情も共有できないなんてつまらなすぎるだろう。


 このときの俺はおかしかったのか、それとも、忍者村で見かけたときに同類だとほんの少しでも期待してしまっていたからなのか。




「…………………………なぁ、おまえ、忍者好きなの?」




 長い沈黙を経て嫌いな彼女の隣に立つと、無視される可能性も忘れて問うていた。



 その大きな黒目が、俺を捕らえる。睨まれている感覚はなく、ただ見つめ返されている。


 やはり、彼女は無表情ではあるが綺麗な顔をしていた。



「…………少し、興味は……ある」



 小さく開かれた口から、鈴のような声が紡がれた。


 それからふい、と視線を元に戻すと、砂の山に手を伸ばしてトンネル作りを再開する。


 俺はというと次の言葉もなく放心して、怒りでもない喜びでもない気持ちを抱えて揺れた体がそのまま地面に吸い寄せられた。尻餅をついて、八雲葵が気にもしないのを確認して。


 引きつる顔が、妙に騒がしかったと記憶する。



「———しゃ、しゃべったあああ!!」