第六話 蝉の声

「はぁ....」

あれからしばらく時が過ぎ、気付けばもう季節は夏を迎えていた

「あっつ....」

毎年のように今年は異常気象、今年も異常気象..と言われ、もはや何が正常で何が異常ではないのか分からなくなっていた

「じーーーーん!!」

そんな暑さの中、聞きなれた声が俺を呼ぶ

「おはよ..って、どうしたの?
何で朝からそんな死にそうになってるのよ」

きょとんとする寧々だったが、首筋や額にも汗が滲んでいた

「おま..
なんつーか...うん、元気だな」

半分羨ましいと言うように、悠仁は寧々を見つめる

「こんなのまだ序の口よ!
去年の今頃のほうがもっと暑かったんだもん」

..とは言っても、暑いものは暑いので。

「..ほら、さっさと行こうぜ」

目的地へと、二人は歩みを進めた

..

しばらく歩くと、目線の先にバス停が見えた

「バスの時間は..まだもう少しあるな。
霧島、そこの日陰でちょっと待ってろ」

寧々は言われた通り、バス停の側にある屋根付きのベンチに腰掛ける

悠仁は近くの自動販売機へと向かい、その間、寧々はスマホを取り出して画面を見つめていた

「...」

しばらくスマホをいじっていたが用事が終わり、んー..と寧々は背伸びをする

それとほぼ同じタイミングで、首筋に冷たいものが触れた

「..っっ、?!?!!」

あまりに突然で驚き、声も出なかった寧々

驚いた寧々はぐるんと後ろを振り返ると、いたずらっぽく笑う悠仁がいた

「ちょっ..ひどいじゃない!」

「わりーわりぃ。
あんまりにもスマホばっか見てるから、ついな」

「も〜」

寧々が拗ねたようにふいっと顔を逸らすと、目の前に苺ミルクのアイスが現れた

「これ...」

「あ、嫌いだった?」

「いや..っていうか、どうして私の好きなものを知ってるの?」

アイスを受け取り、びっくりしたと目を見開く寧々

「..なんとなく、かな」

悠仁は曖昧に笑い、寧々の隣に腰掛けた

「..じんは、ソーダ味が好きなの?」

「好きというか..夏だなって、思う」

「...夏?」

ミーン..ミンミンミンミン...と蝉が鳴き、そよ風が二人の間をすり抜ける

「..夏祭りに飲むラムネと、一緒」

「...ふぅん」

寧々は少し首を傾げたが、それ以上は何も聞かず..快晴の青空を見上げていた

...

ほどなくしてバスが来て、二人は目的地へと着く

「..着いたぞ」

「ここが..そうなの?」

二人が見上げた目線の先には、少し古びた中学校があった。

「..これ」

「あ、ありがとう」

玄関のところで悠仁からスリッパ受け取り、履き替える

「..ここが、元、俺たちの教室」

教室の入り口には“三年A組”と書かれていた

「失礼しまーす..うわぁ、なっつかし...」

悠仁はドアを開け、教室からの景色を懐かしんだ

「じんは..どの辺りの席だったの?」

後から入ってきた寧々がキョロキョロと見回す

「確かー..。あぁ、ここ」

悠仁が一番後ろから一つ前の窓際の席をコツンとつつき、その席に座る

「寧々は..俺の前だったっけ」

どうぞ、と悠仁が自分の前の席の椅子を引くと、寧々が座った

「..じんと寧々ちゃんって...中学校からの付き合いなの?」

「あぁ。..今でも思い出せば、色んなことがあったなぁ...」

悠仁は静かに目を閉じ、背にもたれた


..

『うわぁ〜〜!!
ねえねえじん、どうしよう!!!』

『..またか』

目の前の寧々は今にも泣き出しそうな顔で、返却されたテスト用紙を握りしめている

呆れた顔でそれを見つめる悠仁はちらりとその点数を見る

『...二十八点』

『あー!!ばかばかじんのばか!!!
勝手に点数見たわね?!?!!』

ぼそっと言ったつもりが寧々にも聞こえていたらしい

『お前なぁ..
...またおばさんの雷落ちるぞ、それ』

『ひいいぃ..!!
そ、それだけは勘弁してぇ...!!』

寧々は大袈裟に飛び上がるような表情を浮かべる

『ったく..寧ろどうやったらこんな点数取れんだよ...』

呆れながらも寧々の答案を確認していると、前の方からずかずかと騒がしい足音が近付いて来る

『おい悠仁!!てんめ..日南川より点数取れてねえ俺をバカにしてんのか?!』

ずん!とテストを突き出してきたのは陸。

..見ると答案には、二十一点と書かれていた

『..寧々の下がまだいんのかよ』

呆れを通り越して苦笑いする悠仁

『っ、じゃあお前は何点なんだよ?!』

むがー!と突っかかる陸に、悠仁は伏せ目でヒラヒラとテストを見せる

『『....九十八点...????』』

寧々と陸があんぐりと口を開けて、それを凝視する

『..って言っても、悠仁は理数系が得意なんだから数学でこの点数はいつもの事だろ』

またいつものやつかと紫音もやって来た

『し、紫音!!お前だけは仲間だよな?!?!!』

陸が懇願するようにしがみ付くと、紫音は眼鏡をくい、と上げてテストを出した

『....』

『まぁ..予想はしてたよな』

悠仁が言うと、紫音は当たり前だと煽るような笑顔をする

『何たって、俺は医者にならなきゃならんからな。
..あんな父親になんか、絶対負けないくらいの』

『紫音..』

悠仁が心配そうに見る紫音の父親は、有名大学に付属している病院の医師だった

そのせいか、幼い頃からずっと周りと比べられる人生を送ってきた

..多分、口が悪かったりすこし意地悪なのも、それが関係しているのだと思う。

『でも..やっぱり、満点じゃなきゃ、意味ないよな』

九十九点と書かれたテストを見て、悔しそうな顔をする紫音

『いやいやいや..
あたしがそんな点数を取って来た日には、家中パニックになっちゃうよ』

寧々が感嘆の声を漏らすと悠仁は肩をすくめる

『..絶対無いってことな』

『ちょ..ひどーーい!!』

怒った寧々が悠仁に詰め寄る

『まあまあ..まだ国語や英語が帰って来てないし、合計点も分からないじゃない?』

『ひ、日和〜〜!!!!』

うわーん!と寧々が抱きついたのは、寧々と一番仲の良い相澤日和だった

『ほら、寧々今回英語は私と一緒に沢山勉強したじゃない?
だからきっと大丈夫よ』

黒髪のロングヘアーがよく似合う日和は優しく笑う

『しーくんは..相変わらず、流石ね』

『当たり前だ。..日和は?』

しーくん、と日和は紫音の方に視線を移す

『そうねぇ..いつもと変わりなく、ってとこかしら』

ニコッと日和が笑うと、そうか、と残して紫音は自分の席に戻った

『..ひゅ〜、相変わらず照れ屋なこって』

からかうように陸が言うと、日和は頰を赤らめる

『自慢の彼氏だもんね、日和の』

『ばっ..寧々ってば、もう〜!!』

気付くと寧々も陸と一緒になって、にやにやしながら日和達をはやし立てていた

『..その辺にしとけ。

あとお前ら二人、さっきからいっくん(担任)に呼ばれてるぞ』

悠仁がため息をつきながら教卓の方を持っていたペンで示す

『日南川に早瀬ぇ..俺を無視するとはいい度胸じゃねーか...』

『『ひ...っ..?!?!!』

いっくんは怒りのオーラを隠すことなく二人をチョークで指差す

『罰として明日から一週間!俺がみっちり数学を教えてやる。

...覚悟しとけよ?』

『じ..冗談じゃねーぜ!!
明日から夏休みじゃねーか!部活出来ねーじゃねぇかよおおおおおぉ!!』

陸が青ざめた顔でいっくんの元へと駆け寄る

『まあどちらにせよ、お前ら二人は特に点数が出ないからなぁ...

いつかは補修をしてやろうと思ってたんだ、丁度いいだろう?』

『せ、先生ご勘弁を〜〜!!』

寧々も日和に抱きつきながら懇願する

『そんなに嫌なら一日でも早く、いい点数を取って俺たちに見せるこったな』

そう言って笑い、いっくんは教室から出て行ったっけ..


...

「..ふうん。で、結局二人は夏休みの強制補修をしたってこと?」

「あぁ。...まあ、結局俺や紫音、相澤も駆り出されて一緒に教室で勉強してたんだけどな」

ちらりと窓の外に広がる景色を見つめる

「....」

見上げる空はどこまでも青く、悠仁は目を細めた

「..なんだか、あなたが彼女...寧々ちゃんの話をしている時って、本当に優しい顔をするわね」

寧々は少し、寂しそうに笑う

「あなたが本当に寧々ちゃんを好きだったのが、よく分かるわ

..なんだか、彼女がほんの少しだけ...羨ましい」

「霧島..」

「私にも..あなたのように、こんなに強く思ってくれる人がいたのかしら」

寧々は、悠仁が見つめる窓の外の世界を

机の上で腕を組み、その上に頭を乗せて同じように見つめた

「..記憶が無くても、生きること自体は慣れてしまえばどうってことないの」

でも....

「..やっぱり、何処かで寂しさに気付いてしまうの」

「寂しさ..?」

横になっているせいか、あまり表情が見られない

「...どうしようもない寂しさが、必ずどこかでやってくるの」

どんなに楽しい時間でも、

どんなに充実した日々を送っても..

記憶が無いことが、こんなにも自分を苦しめている

「周りが思い出さなくてもいいって言うたびに、過去の私が何かしてしまったんじゃないかって..すごく、不安になるの」

過去の私がこのまま思い出せずに、
みんなに忘れられてしまうことが..


たまらなく、怖い。

過去の私がどんな人で、事故があったあの日..私に何があったのか

誰も教えてはくれなかったし、しつこく聞いて、おばさんたちに嫌われたくなかった

「..三年前に初めて目が覚めて以降、全く過去の事なんて思い出せなかったの」

でも..

「..でも一度だけ。
覚えの無い、だけど確かに...一瞬だけ見えたの」

「見えた、って..」

「うん。..多分、私を呼んでたの

見覚えのない、男の子が..」

あの時は白い靄がかかってて、よく見えなかったけど...

「それが見えたのは、あなたを初めて電車で見たあの日だったの」

「ーー...!!」

悠仁は目を見開いて驚く

「あなたが私よりも先に降りて、遠ざかっていく時..確かに、見えたの」

だから..

「だからあなたと一緒なら、私の失くした記憶も見つけられるんじゃないかって...そう思ったの」

寧々は顔を上げ、小さく微笑んだ