第一話 桜の花

「....」

ガチャリ、とゆっくりとドアを開ける

「..っ、」

開けたドアの先から、流れるように春の心地よい春風が舞い込んできた

「...眩しい」

天高くから地表を照らす太陽に目を細め、ふう、と息をつく

一度ドアを閉め、靴を履き、全身を鏡でチェックしてから再びドアを開けた

「..いってきます」

部屋に向き直ってひとり言のように呟く

「....」

しかし返事は無かった

一人暮らしの誰もいない部屋にそう言い残し、鍵をかけてマンションの四階からエレベーターで一階まで降りる

「あら悠仁くん!おはよう」

「あ、おはようございます。管理人さん」

玄関を出たところで元気にラジオ体操をしていたのは俺が住むこのマンションの管理人、千早(ちはや)さん。

何かと一人暮らしの俺を気遣ってくれる、優しい女(ひと)だ

「今日はまた一段と男らしくしちゃって..あ、もしかして今日、大学の入学式?!」

スーツ姿の俺を見て、管理人さんは嬉しそうに手を叩く

「はい。..普段スーツなんて着慣れないんで、少し苦しいですけど」

俺がおどけたように言うと、管理人さんはまた笑う

「よく似合っているわ。
..貴方もすっかり、大きくなって」

まるで母親のような管理人さんに、少し照れくさくなる

「..いい式になるといいわね」

「..いってきます」

優しい笑顔に見送られ、俺はまた歩みを進めた


俺は嘉内悠仁(かない ゆうじん)。

晴れてこの春から地元のA大学に通うこととなり、今日はその入学式に出席する

元々色素の薄い髪色だったため、特にイメチェンをすることなくそのままで大学も通うことにした。

..高校の時はブレザーだったとはいえ、やはりスーツはどこかむず痒い

また一歩、大人に近付く自分が何処か遠く感じてもいた

...

「おーい!悠仁!」

「..やっと来たな、おせーぞ悠仁」

「あぁ、ごめんごめん」

最寄り駅に着くと、顔見知った二人が俺を待っていた

「悠仁って朝よえーからさぁ、入学式から遅刻するんじゃねーかって焦ってたんだぞ〜!?」

「そう言いつつ、悠仁は遅刻した事ないし、寧ろお前の方が遅刻魔だろう」

「おいコラ、やんのかてめー!!」

「..その辺にしとけ。あの子が見てる」

悠仁がチラッと目線を送った先にはお母さんの陰からじいっとこちらを見ている五歳ほどの女の子がいた

「..チッ」

すると彼は頭を掻きながら、気怠そうにそっぽを向いた

「..なあなあ。そういえば俺らの学部ってさ、やっぱ女子すくねーよなぁ」

俺の隣で口を尖らせているこいつは幼馴染みの早瀬陸(はやせ りく)。
金髪のツーブロックが特徴的で、両耳にジャラジャラとアクセサリーを光らせている

「お前みたいなのが俺らと学部が同じことがまずありえん」

「んだとこらあぁ!!」

こっちの堅物っぽいのがもう一人の幼馴染み、結城紫音(ゆいき しおん)。
短髪の黒髪はワックスで毛先を遊ばせているが服装は至ってシンプルで大人しい
まあ当の本人は思ったことをすぐ言うタチなので、陸とはよく喧嘩にもなっているのだが..

「..電車、来たぞ」

間に挟まれて喧嘩に巻き込まれていた俺は右側遠くからやって来る電車を指す

俺らの前でドアが開き、三人は電車に揺られた


..


ガタンゴトン...


「..なあ、」

何駅かすぎてしばらく経った頃、隣に座っていた陸が口を開く

「..なに」

音楽を聴いていた俺はイヤホンを片方外し、陸の方を見る

「..まだ、見つかってねえの」

手元のスマホから顔も上げずに陸が言う

「..なんの話」

「..わかってるくせに」

投げやりにそう言って窓の外を見つめる俺に、陸もぶっきらぼうに返す

「..あれからもう、三年か」

紫音は窓の外に見える桜の木を眺めながら、そう呟いた


ー..三年。

俺はこの三年間、一体何をしてきたんだろう

あいつが居なくなってから、三回目の春が来た



『じん!桜、今年も咲いたね!』



あの日のあいつの笑顔がふと、脳裏に浮かんだ




..すぐ消えたけど。


あいつが居なくなったのは、本当に突然だった。


..三年前の中学の卒業式翌日、
あいつ..日南川寧々(ひなみかわ ねね)は行方が分からなくなった

『じーん!私たちもついに、卒業だって!』

誰に何を告げることなく..忽然と、居なくなってしまった。

『春からもじんや日和と同じ学校に通えるだなんて、夢みたい!!』

寧々と仲の良かった同じクラスの相澤日和(あいさわ ひより)でさえ、何も聞いていなかったらしい

「..どーこほっつき歩いてんだか」

相澤が心配してるぞ、と

心の中で他人事のように呟く。


..

しばらく目を瞑っていると..思い出そうとしなくても、あいつの笑った無邪気な顔がそこにはあった

『じんってば、まーた部活サボって!
ちゃんと練習に出なきゃだめじゃない』

これは..中学の頃、か?

今よりも幼い顔で、今より少し背の低い俺と、その隣にちょこんと座り込む、ふわふわのボブヘアーの寧々がいた

『..そういうお前だって、サボりだろ?』

頭の後ろで腕を組む俺は、大あくびをしながら寧々の方に視線を向ける

『..バレちゃった?』

ぺろっと舌を出す、あどけない笑顔が眩しかった

..あの頃が、俺にとっていつまでも忘れられない一ページだった


どうして急に居なくなったのか、

どうして俺たちの前から姿を消したのか..


聞きたいことは、山ほどある

だけど、

あれから俺が、俺たちが寧々に会うことは...



二度と無かった

...

「....っ、」

「次は〜終点..終点です...」

ガタンゴトン..と心地よく揺れる車内に軽快な音とともにアナウンスが流れる

「..さて、それじゃあ行きますかね!」

シュタッと立ち上がる陸の背後でパタン、と読んでいた本を閉じる紫音

「はりきり過ぎて初っ端こけんなよ、陸」

「ああん?!転かしてやろーか紫音、えぇ?!!」

「あーもう..俺挟んで喧嘩すんじゃねえ。行くぞ、二人とも」

終点で降りた三人は、それぞれに様々な思いを胸に、足早に歩みを進めた


...

「...?」

「..どうしたの?」

三人の背後から、しばらくして二人の少女が駅へと降りた

「....」

片方の少女は遠くなる三人の背中を見つめ、ぼーっとしていた

「..?寧々......??」

おーい、と寧々と呼ばれた少女の前で手を振る

「..っ、あぁ、ごめん都。ちょっと、ぼーっとしちゃって...」

はっ!と我にかえった少女は何でもない、と小さく笑う

..しかしすぐに俯き、表情を曇らせる

「..なんか、」

「ん?」

「なんか..懐かしい気持ちになったの」

「寧々..」

胸の奥が、きゅううって締め付けられる

「..覚えてるはずなんて、ないのにね」

パッと顔を上げ、哀しげに笑う寧々は、今にも泣き出してしまいそうで..

「..大丈夫、大丈夫だよ。
寧々は...何も思い出さなくていいの」

だって

「寧々は、寧々なんだから」

何も思い出す必要なんてない

貴女が悲しむ顔なんて、あたし見たくないよ

都は、ぎゅううっと寧々を抱きしめた。