水穂が入院してからというもの、仕事帰りに病室に立ち寄り、水穂を相手にとりとめのない話をして帰るのが籐矢の日課になっていた。

今日は出先から病院へ直行したこともあり、いつもより早い時間帯につくと、だいぶ元気になってきた水穂に負けじと言い合う母親の声が廊下まで響いていた。

籐矢はドアの前で立ち止まり、遠慮のない親子喧嘩を傍聴することになった。



「痛い痛いって言わないの。これくらい我慢しなさい」


「お母さん、人ごとだと思って簡単に言うわね。痛いものは痛いのよ」


「女の子がそれくらい我慢できなくてどうするの。赤ちゃんを産む方が何倍も痛いのよ」


「なにそれ、わけわかんない」


「だから、出産のほうが大変だって言ってるの」



ますますエスカレートしそうな雲行きで、籐矢はケンカを止めるきっかけになるだろうと、思い切ってドアをノックをした。

「まぁ、神崎さん」 と水穂の母曜子は笑顔で迎え入れてくれたが、水穂は頬を膨らませたまま、「こんにちは」 と言ったものの愛想もない。



「傷が痛むのか」


「そーですよ。痛いから痛いって言ってるのに、お母さんったら、娘に無理させたいの?」


「弾傷ぐらいなんです。そんなのは動かして治すのよ。

アナタみたいにギャーギャー言ってたら、治りも遅いの」


「ちょっとぉ、それって、まるで自分が経験したみたいな言い方ね」


「えぇ、経験したわよ。だから赤ちゃんを産むほうが、何倍も痛いって言ってるでしょう」


「えぇーっ!!」



これには籐矢も驚いた。

拳銃で怪我をしたのは事実だろうかと、水穂ともども母親を見るが、曜子は何食わぬ顔で帰る仕度をしている。



「うっそー、本当に撃たれたことがあるの? ねっ、ねーってばぁ」



口元をゆるく微笑させ、手早く片づけをする曜子は、水穂の問いには答えず、



「また明日来るわ。神崎さん、いつもありがとうございます」 



それだけ言うと病室を出て行った。



「おい、どういうことだ。おまえのおふくろさんって……」


「うーん……結婚前、交通課に勤務していたのは知ってましたけど、弾傷なんて初めて聞きました。

交通課でもそんな危険な目に遭うことがあるんですか?」


「俺に聞くな、親父さんに聞いてみろ」


「そうですね。でも、どうして今まで教えてくれなかったのかな」



誰に聞いたらわかるだろうと水穂が思案していると、廊下からにぎやかな声が聞こえてきた。



「水穂、おとなしくしてる~? おヒマだと思ってあそびに来たわよ。神崎さん、毎日ご苦労様です」



交通課の二人組のユリとジュン、そして、交通課課長の篠原佐和子も一緒だった。



「ひま過ぎて、どうかなりそう。佐和子さん、そこで母に会いましたか? いま帰ったばかりですけど」


「えぇ、玄関で会ったわよ。水穂ちゃんが大げさだって笑ってた」


「もぉー、大げさじゃないのにぃ」



交通課課長の篠原佐和子は、水穂の母の古い友人でもあり、水穂を小さい頃から良く知っている。 

挨拶もそこそこにガヤガヤと三人の会話が交わされる中、病室のドアがノックされた。

担当医師の三原だった。

これは美しい方ばかりですねと三原は医者らしからぬこと言い、褒められた女性陣はまんざらでもない。



「傷の痛みはどうですか」


「引きつるような感じがします」


「見せてもらえますか」



そう言って水穂のパジャマに手をかけた三原医師は、そこでパッと振りむいた。



「えーっと、神崎さんは後ろを向いてください」



籐矢は言われたとおり背を向け、後ろの会話に耳をそばだてた。

「わぁ~こんなところを弾がかすったんだ。痛そぉー」  と女性陣の声に、「皮膚の柔らかい部分ですからねぇ」 と三原の穏やかな声がかぶる。



「水穂のおっぱいって、良い形をしてるわね」


「やだ、どこ見てるのよ」


「あら、本当、水穂ちゃん綺麗だわぁ」


「佐和子さんまで、そんなこと……」



籐矢のうしろで、水穂の ”おっぱい談義” が交わされる。

居心地の悪さを、籐矢は咳払いでごまかした。



「神崎さんも見ます?」


「ちょっと、ユリ、なんてこと言うの!」



わぁわぁとにぎやかな声へ 「外にいる」 と背中越しに声を掛けて籐矢は病室を出た。