あのときのキスは、現実だったのか幻だったのか。

助け出されたあとも、翌日も、そのあとも、まったく変わりなく接してくる籐矢へどう向き合うべきか水穂は戸惑っていた。

人工呼吸みたいだと茶化したことを言ったが、籐矢と抱き合い交わしたキスは、体中が痺れて意識が遠のきそうな甘美なものだった。

唇を合わせることで好意を伝えてくれたのではないかと、そんなことを思ったりもした。

けれど、籐矢の態度が微塵も変わらないということは、やはりあれは互いの恐怖を取り除くための行為だったのだと、そこへ答えがたどり着く。

そして、栗山と会うたびに思う。

私はこの人が好き、神崎さんなんてなんとも思ってない、あのときは怖かったから頼っただけ……

水穂は、どこか歯がゆさを含んだ納得の仕方を自分に言い聞かせていた。



何事もないように水穂に接する。

今までどおり、同じように変わりなく……そう心がけていた。

水穂との関係をこのまま保つには、それが一番だと自分に言い聞かせた。

籐矢は、心の奥底で頭をもたげる感情を押し込め、淡々と振舞おうと務めていた。

水穂に安らぎを感じ、かけがえのない相手だと思いはじめたのはいつだったか。

真っ直ぐな気性、勝気でいつも一生懸命で、初めて会ったときから遠慮がなく、ともすると無口になりがちな籐矢にいつも突っかかり、気がつくと言葉を投げ返していた。

すぐに膨れる頬、不満に尖がる唇、ぷいっと横を向く顔。

そのどれもが無邪気で憎めなくて、何を言われても腹が立たなかった。

壮絶な肉親の死に直面し、決して忘れることなどないと思っていたが、それさえも忘れさせてくれる存在が水穂だった。

けれど、水穂がいることで、これほど苦しい思いをすることになろうとは予想外だった、 

キスなどしなければもっと楽に過ごせたのにと、今更ながら悔やまれる。

栗山とのデートを報告する水穂の顔を、いつまで冷静に見ていられるだろうか……

籐矢は自分の思いにもがいていた。