神崎家の広間に、久しぶりに大勢の声が響いていた。

にぎやかだね……と弘乃と顔を見合わせた籐矢は、お勝手に参りますのでという弘乃と別れて屋敷奥の和室へと足を向けた。



「籐矢さん、お仕事は大丈夫だったのね。よかったわ……

あちらにみなさんお集まりですから、お顔をみせてね」


「藤田のおじさんも来てますか」


「えぇ、フランス帰りの籐矢さんの話を聞きたいって、待ってらっしゃるわよ」


「フランス帰りって……旅行じゃないのに。俺、藤田の伯父さんは苦手だな」


「少しだけお付き合いしてちょうだい。伯父様はあなたの仕事が誇らしいの」


「ICPOってところに興味があるだけでしょう。推理小説の読みすぎだよ、地味な仕事なのに」


「今のお仕事はどうなの? 忙しくはないの?」


「まぁまぁです」


「お食事は? 弘乃さんがいらっしゃるから心配ありませんけれど。でも、あなたのお仕事は不規則でしょうから」


「ちゃんと食べてますよ」
 


出迎えた継母沙弥子は、久しぶりに会う息子を変わりなく迎え入れた。

短い会話だったが近況を伝えると、安堵したのか嬉しそうな顔をした。

奥から弟の征矢が顔をのぞかせて、こっちだと手招きをしている。

広間へ行くと籐矢が予想したとおり、親戚でもにぎやかな伯父が籐矢を見つけると寄ってきて、矢継ぎ早に質問を始めた。

それには適当に返事をし手短に切り上げ、父が座る席へ足を向けた。

父はいつにも増して難しい顔をして座っていたが、籐矢の顔を見ると首だけ動かして、よく来たと言った表情を浮かべた。

神事が始まるまでのあいだ、そのまま席にとどまる気にはならず、籐矢はもてあまし気味の時間を潰すように部屋を出た。

廊下を進んだところで見知った顔の神主に出くわした。

籐矢の顔を見ると背中を乱暴に叩き、神主らしい良く響く声で話しはじめた。



「元気にしていたか。お前さん、相変わらずやんちゃな顔をしているな」


「少しは落ち着きましたよ」


「いやいや、いまだに親父さんに心配を掛けているようだな。

麻衣子ちゃんの事件を追っているそうじゃないか。まだ会社を継ぐ決心ができないのかい」


「毛頭そんな気はありません。親父の跡は征矢が継いでくれるでしょう。俺はこのままです」


「そうか……だがなぁ、おまえさんは長男だ。親父さんの気持ちを考えれば、そうもいかんだろう」


「親父が何か言っていましたか」


「いや、はっきりとは……ただ、将棋を打ちながらぼやいてるよ、籐矢は家にも寄り付かんとな」



父親の将棋仲間でもある神主は、籐矢を小さい頃から知っていた。

都会の中の森に囲まれた神社は子供達の格好の遊び場で、籐矢も兄弟でよく遊んだ。

遊び場ではあったが御社の回りには近づかず、子供なりにそこは神聖な場だと感じていた。

籐矢が海外に赴任する前のことだった。

両親が神社を頻繁に訪れていると、神主から聞かされた。

不幸な事件で娘を亡くした両親は神社に心のよりどころを求め、一心に祈ることで気持ちを保っているのだろうと聞き、苦しさから逃げるように旅立つ籐矢は胸が締め付けられる思いがした。

「親父さんとお袋さんのことは任せろ。お前は自分の仕事を精一杯やってこい」 と、背中を押して送り出してくれたのがこの神主だった。

打ちひしがれたのは自分だけではない、それは良くわかっているつもりだった。

だが、当時の籐矢には両親の思いまで支える余裕はなかった。

妹の突然の死を受け入れがたく、跡をついで欲しいと頼む父の願いに応えることも出来ず、逃げるように日本を飛び立った。



「5年前から変わってないのは俺だけかもしれませんね。いまだに前に進めずにいる。 

臆病者なのかもしれません……」

 
「そんなことはないさ。誰しも心に苦しみを抱えているものだ。おまえさんのは、ちっとばかしそれが重いだけだ。

だがなぁ、時には家に顔をだして親御さんを安心させろ。お袋さん、籐矢のことばかり心配していたぞ」


「はい……」



臆病者ではないと言った神主の言葉は、籐矢の気持ちを少し軽くした。





神事が始まり神官の声が朗々と響く中、籐矢は麻衣子の死に繋がった事件を思い出していた。

未遂に終わったが数件のテロ計画が明るみになり、世間を騒がせていたあとに起こった事件だった。

数人の犠牲者があり、その中の一人が籐矢の妹の麻衣子だった。

外出先にいる麻衣子を迎えにいくために、車を止めるのに都合の良い場所へ籐矢が呼び出した。

あの時、俺があんなところに呼び出さなければ、麻衣子は事件に巻き込まれることはなかったのに……

何度自分を責めたことだろう。

おまえのせいじゃない、と繰り返し言ってくれた父だった。

その父のたっての願いでもある後継者への道を黙殺し、警察の職を辞することなく、犯人を見つけ出すことにのみ力を注いだ数年間は苦渋の時間でもあった。

父との確執は深まるばかりだが、今日だけは両親の意向に従おう……

籐矢は静かに目を閉じて神主の声に耳を傾けた。