幸せの種


「戦後の混乱期はみんなが貧しくて、孤児院の子ども達もみんな両親がいなかったから、ちしま学園は多くの子どもを効率的に育てることができる大規模な孤児院としての機能を果たしていた。

あの頃はそれで良かったと思うし、日本自体が貧しくて、それしかできなかったんだ。

今のように『心のケア』なんていう言葉もなく、みんな必死に生きていくだけだった。

特に、家庭で平和に暮らした経験のない子は、自分の幸せな将来を思い浮かべることすらできない。

だから、ちしま学園で過ごした子どもが大きくなったとき、自分の子どもをうまく育てられなくて、親子代々ちしま学園出身、という『負の連鎖』が起こることもある。

ここにいる子ども達がどうすればその『負の連鎖』から抜け出せるのか。

その答えのひとつが、こういう大きな施設ではなく、もっと小さな施設……さくらハウスのようなところや、里親さんと暮らすことだと思うんだ。

これから、私も園長として社会のニーズに合わせた福祉を実践していかなくてはならない。

ひどい虐待を受けて、親の顔も見たくないという琉輝に、家庭を疑似体験させたいと思った訳さ」