幸せの種


「ちしま学園は、戦後の混乱期に『孤児院』として誕生したんだ。

その頃は戦災孤児といって、戦争で両親を亡くした子どもや、ソ連や中国から引き揚げてくる途中、親と離ればなれになってしまった子どもが多かった。

ある意味みんな平等に、親がいない子ばかりだったよ」


園長先生は、わたしを全く見ないまま、淡々と話し続ける。


「戦争が終わって平和な時代が長く続けば、孤児院の役割は終わるだろうってみんな考えていた。

ところが、戦災孤児がほとんどいなくなってからも、ちしま学園に入所する子どもは減らなかった。

『児童養護施設』として、新たな役割が与えられた」


わたしが知っているちしま学園は、孤児院とは呼ばれていない。

両親どちらも亡くなっているような、本当の『孤児』はほとんどいないからだと思っていた。

わたしも、琉君もそう。

肉親がいるけれど、事情があって家には帰れない子どもがいる場所だと理解していた。