「借りて帰るなんてめずらしいのね」

 彼はいつも読み終わった本を丁寧に戻し、帰宅していた。一冊か、日によっては二冊、読み終えた段階で帰るようで、閉館時間まで残っていることのほうが珍しいと思う。

「一日でギリギリ、読み終わらなかったんです。あと少しなので、借りて帰って家で読んでしまおうと思って。そうしたら明日は、別の本を読めるので」

 なるほど、と頷いてみせる。
 彼の持っている「指輪物語」は、シリーズ最後の「王の帰還」だった。文庫だと上下巻に分かれているところがハードカバーだと一冊にまとまっているので、かなり分厚い。加えて、ファンタジーの専門用語が多いから慣れていない人は読むのに苦労する本だ。

 それを一日で読んでしまうなんて、彼が本を読むことに慣れている証拠でもある。

「一冊でいいの? 他にも本を探していたんじゃないの?」
「ついでだから、他にも借りていこうと思ったのですが。やっぱり、ここで読んだほうがいい気がして、やめました」

 ここで読んだほうがいい、とはどういう意味だろう。借りて帰る手間と、図書室まで通う手間とを考えたら、借りて帰るほうがはるかに楽だと思うのだけど――。

 私が、思わず怪訝な顔をしてしまったせいだろうか。とりなすように、やや早口で彼が言った。

「あの、良かったら、先生のおすすめの本を教えてくれませんか。明日はその本を読もうと思います」

 訊かれたくないことを、わざわざ訊ねるような野暮な真似はしない。
 案外、図書室に勉強をしに来ている女子生徒に好意を寄せている、とか、そんなことなのかもしれない。もしかしたら、友達には秘密で付き合っているのかも。

 真剣に本と向き合っているように見えた彼と、この発想はボタンを掛け違えたようにちぐはぐに思えたけれど――、これ以上追及はしないという証拠に微笑んで、彼の手から図書カードと本を受け取った。

「児童文学が好きなの? それとも、ファンタジー?」

 指輪物語に、ピッとバーコードを読み取らせながら訊ねる。
 昔の図書室といえば手書きの貸し出しカードだったけれど、今はほとんどの高校が市立図書館のようなバーコード式になっている。
 管理はしやすくて、生徒数の多い高校にはこちらのほうが向いているけれど、私は手書きの貸し出しカードも味があって好きだった。