「あの、すみません」

 カウンターのほうを見ると、図書委員はすでに帰り支度をすませて出て行ったようだ。
 一冊の本と鞄を抱えて、所在なげに佇む彼は、「指輪物語」の男子生徒だった。

 まだ残っていたのか、と心の中でびっくりする。彼がまだ図書室内にいるなら、私だって図書委員だって気付きそうなものなのに。彼はそこまで、存在感が希薄なわけではない。

 もしかして、あまりに図書室にいる風景に溶け込んでしまっているため、誰も気にしなかったのだろうか? そんな馬鹿な。

「ちょっと待ってね」

 と声をかけてカウンターに向かうと、彼が申し訳なさそうな声色で疑問の答えをくれた。

「すみません。本棚を物色していたら、いつの間にか誰もいなくなってしまって」

 私はそれで、本棚の間にいたから分からなかったのね、と納得する。
 この図書室は自習スペースを多くとっているせいか、背の高い本棚は隅に追いやられ、人ひとりとすれ違えるくらいのスペースで、ドミノのように等間隔に並んでいる。

 それにしても、初めてしみじみと聞いた彼の声は、予想していたよりも落ち着いていて驚く。穏やかな、甘い、と表現してもいいテノール。抑揚の使いかたなどは、もう大人のそれだ。

 この子は女子生徒に人気があるだろうな、と勝手に思う。
 おとなしい生徒は、学校という場所ではたいがい目立つことのないものだけれど、彼には「おとなしい」を「大人っぽい」に変えてしまう余裕があった。