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 三木先生の課外授業は、平穏な毎日の中に少しだけ、スパイスを加えたみたいな感じと表現すればいいのかな。

 私のボキャブラリー数は相変わらずだけど、物の見方が変わったのは明らかな事実だった。言葉で表現する前に五感や心で感じて、ほんの少しだけと表現できるようになったと思う。これはこれで、三木先生に感謝しなきゃいけないよね。

「おっはよ、奈美っち!」

「おはよー、今日も寒いね」

 白い息を吐きながら生徒玄関でクラスメートに挨拶し、一緒に教室に向かった。

 昨日見た、話題のある動画のことでキャッキャと盛り上がってると、向かい側から明らかに眠たそうな顔をした三木先生が歩いてきた。

「おはようございます……」

「あー、おはよう」

 いつも通り覇気のない三木先生にしっかり頭を下げて、その場をやり過ごそうとしたそのときだった。

「ちょっと待て。おまえ、頭になにつけてるんだ?」

「はい?」

 三木先生はいきなり私の頭頂部に指を突っ込み、何かを取ろうとグリグリする。

「いっ、痛い!」

「やっと取れた。奈美の頭から天使の羽、発見!」

 目の前に突きつけられた物は、羽毛布団に使われている小さな羽根だった。

「おまえ、ちゃんと髪の毛を梳かしてるのか? 女子として身だしなみは大事だと思うぞー」

 メガネの奥の瞳を細めながら、羽毛布団の羽根をそのまま背広のポケットにしまう。ゴミをポケットに入れるという行動が、私としてはさっぱりワケがわからないんだよね。

「そういう三木先生こそ教師として、そのボサボサした髪型を何とかしたほうがいいと思います!」

「頭にゴミつけてたヤツに、そんな失礼なことを言われたくないね。ボサボサしてるんじゃなく、これは天パなんだよ」

 なぜか髪を掻き上げながら、通り過ぎた三木先生。

(うわぁ。そんなことをしても、三木先生は全然格好良くないから!)

 顔をひきつらせて内心毒づいてると、クラスメートがビックリした顔で訊ねる。

「奈美っち、さっきNHKが下の名前で呼んでたけど……」

「えっ?」

 そういえば呼んでいたかもしれない。きっと、三木先生との課外授業でのクセが出てしまったんだ。

 ――マズい。三木先生と私が仲良くしてるなんて知られてしまった日には、率先してバカにしてた分だけ、何かが倍になって返ってきそうだよ。平穏な毎日が送れなくなってしまう!

 一気に頭の中がパニくって、いいわけにならないものばかりが、頭の中に浮かんでは消えて行く状態だった。すべては、三木先生のせいなのに!

「安藤さん、おはよう!」

 困惑しまくりの私の背後から、鹿島さんがいきなり挨拶してきた。

「おはよう……」

「三木先生の発言、本当にビックリだよね!」

 私とクラスメートの顔を見ながら、さりげなく会話に割り込んでくる。

(――もしかして、深い関係にあるってバラす気なんじゃ……)

 ハラハラしまくりの状況で、絶体絶命の文字が大きく頭の中をよぎった。

 青ざめた顔をしているであろう私を見ながら、鹿島さんはにっこりほほ笑んで口を開く。

「安藤さん、みんなから奈美奈美って呼ばれているし、そっちの方が印象深いでしょう。私みたいに名字で呼んでる人が、圧倒的に少ないよね?」

 えっと、これって、助け舟だったりするのかな?

「そうだね、名前が二文字だから呼びやすいのかも――」

「だから三木先生も思わず、下の名前で呼んじゃったんじゃないのかな。ついでに私も、安藤さんの名前で呼んでいい?」

「いっ、いいよいいよ、何か照れちゃうなー。そうださっきまで、テレビの話してたんだけど――」

 無理やり方向転換すべく話題をがらりと変えて、クラスメートと鹿島さんの背中を教室に向かって押した。

 この場は何とかしのげたけど、三木先生にちゃんと注意しないといけないなと思わされたのだった。