しかし、ロベルトが向かったのは庭の四阿ではなく、公爵の図書室だった。
 見上げるほど高い本棚が並び、二階部分はテラス式になっており、一階には上段の書籍を取るためと、二階に上がるための移動式の階段が設置されていた。
 初めて来た筈なのに、懐かしさを感じる図書室に、ジャスティーヌは我を忘れて図書室を見回した。
「思い出さないかい?」
 ロベルトの問いに、ジャスティーヌは辺りをぐるりと見回した。
 そして、ジャスティーヌが気付くと隣に居たはずのロベルトの姿は消えていた。
「殿下?」
「見つけてごらん、ジャスティーヌ」
 ロベルトに言われるまま、ジャスティーヌは図書室の中をぐるぐると探し回った。広いとは言え、隠れる場所が沢山あるようにも見えないし、ロベルトが姿を消すまで、ほんの一瞬だった。
「殿下?」
「君は知っているはずだよ、僕がどこにいるか」
 ロベルトの言葉の意味が分からず、ジャスティーヌはぐるぐると歩き回ってロベルトを探した。
 歩き回れば回るほど、懐かしさは増していく。
 何故かは分からないが、とある本棚に導かれるようにジャスティーヌは歩を進めると本棚を手前に引いた。
 すると、重いはずの本棚がスルリと音もなく動き通路が口を開けた。
「やはり、覚えていたねジャスティーヌ」
 嬉しそうなロベルトの声がして、中からロベルトが姿を現した。
「どうして・・・・・・」
「驚くことはないよ。ここで、僕達は知り合ったんだよ」
「でも、私、こちらに伺うのは初めてで・・・・・・」
「初めてじゃない。父上がここで、ブリッジの集まりを開いたとき、君はここで本を読んでいたんだ。それを知らずに僕がこの使用人用の隠し扉から姿を現して、君はビックリして泣きそうになったんだ。それで、僕は慌てて大伯母様から貰った大きなキャンディーを君の口に放り込んだんだ」
 ロベルトの話を聞いているうちに、ジャスティーヌは段々と自分がなぜロベルトを王子ではなく貴族の子息だと勘違いしたのかを思い出し始めた。
「あの日は、何人かの貴族の子息も招かれていたが、女の子は君だけだった。走り回って騒ぐ連中に愛想を尽かして僕がこの隠し通路を抜けてくると、君がここで読書をしていた」
「あなたは、魔法使い? それとも、本の妖精?」
「そう、そうだよ。だから、僕は人間で、名前はロベルトだと君に教えた・・・・・・」
 おぼろげだったジャスティーヌの記憶がどんどんハッキリしていく。
「僕は、父上がここでブリッジの会を開くとは知らずに、大伯母様の所に遊びに来ていたんだ」
「それで、お父様は貴族の子息の中にロベルトなんて名前はいないって、そう仰ったのね」
 思わず『ロベルト』と呼び捨てにしてしまい、ジャスティーヌが慌てて口を閉じた。
「いいんだよ、ジャスティーヌ。君には、名前で呼んで貰いたい。昔みたいに・・・・・・。ここなら、誰もいないから、誰にも聞かれる心配はない。だから、名前で呼んでくれるね?」
 優しい瞳でのぞき込まれ、ジャスティーヌはコクリと頷いた。
「さあ、ジャスティーヌ、僕の名前を呼んで?」
「ロベルト様・・・・・・」
「様なんてつけなくていい。僕は、君の前では、ただのロベルトでいたい」
 それは、情熱的な愛の告白に聞こえただろう。もし、ロベルトがアレクサンドラを欲しているのだとジャスティーヌが思い込んでいなかったなら。
「ジャスティーヌ・・・・・・」
 ロベルトの腕がジャスティーヌを優しく抱きしめる。
「さあ、呼んで?」
「ロベルト・・・・・・」
「何年ぶりだろう、君にこうして名前を呼んでもらえるなんて・・・・・・」
 感慨に浸る間もなく、バタンと図書室の扉が開いて公爵夫人が姿を現した。
「ここは図書室ですよ、ロベルト。レディを口説くなら、庭の四阿にでも行ってらっしゃい」
 公爵夫人の言葉にロベルトが絶句し、ジャスティーヌは一瞬で夢から引き戻された。
「なんですロベルト、その埃だらけの姿は、レディのドレスが汚れてしまうでしょう。離れなさい!」
 大伯母の怒りには勝てず、ロベルトは仕方なくジャスティーヌから離れた。
「大伯母様、私は口説いていたのではなく、昔話をしていたんです」
 ロベルトの言葉に、公爵夫人が二人を何度も見比べた。
「あら、では、こちらのお嬢さんがあなたが話していたお嬢さんなの?」
「そうです。ここで出会ったんです。だから、大伯母様の屋敷でどうしても舞踏会をひらいて戴きたかったんです」
 ロベルトの説明も、公爵夫人の訳知り顔の笑みも、ジャスティーヌの目には映っていなかった。
「レディのお相手を私がしている間に、あなたはもう少しまともな格好になっていらっしゃい」
 公爵夫人に言われ、ロベルトは渋々部屋から出ていった。
「レディ・ジャスティーヌでしたね」
「はい」
「とりあえず、この埃っぽい部屋ではなく、私のサロンに行きましょう」
 公爵夫人に従い、ジャスティーヌは図書室を後にすると、見覚えのあるサロンに案内された。
 二人がサロンにくつろぐ場所を見つけると、すぐに侍女がお茶を運んできた。
「あの子は、父親と侍従長の間で、随分と堅苦しい思いをして大きくなったので、我が儘なところもありますが、王太子としては素直でまじめな方です」
「とても、尊敬致しております」
 ジャスティーヌの素直な気持ちだった。
「あなたの目に、あの子はどんな風に映っているのかしら?」
「とても、素晴らしい方です・・・・・・」
「生涯の伴侶としても良い相手?」
 ストレートな問いに、ジャスティーヌは言葉に詰まった。
「あの、それは・・・・・・。既に殿下は、私の妹にお心をお決めになられていらっしゃいますから、私の気持ちなど今更・・・・・・」
「まあ、そうだったの? 私としたことが。あまり、あの子が熱心に舞踏会を開いてくれと頼むので、てっきり、あなたが本命のお相手なのだと。ごめんなさいね」
「いえ、私は、殿下との思い出だけで満足でございます」
 ジャスティーヌは言いながら、必死に自分に言い聞かせた。もう、自分の恋は終わったのだと。
「ジャスティーヌ!」
 衣装の汚れを落としたロベルトは戻ってくると、ジャスティーヌの頬に軽くキスをした。
「大伯母様とのお話はつまらなくなかった?」
「いえ、とてもお優しくして戴きました」
「大伯母様、せっかくのシャンパンの後に紅茶だなんて、気が早過ぎますよ。今晩はゆっくりジャスティーヌと踊りたい気分なんです」
「あら、でも、あなたが姿を消したせいで、皆さんお帰りになり始めたわよ」
「えっ、それは大変だ。ジャスティーヌ、ダンスをしに戻ろう」
 ロベルトはいうと、ジャスティーヌの手を取り、略式で公爵夫人にお辞儀をすると早足で広間へと戻った。