全てが数日前とは異なっていた。
 わざわざ一声かけてからジャスティーヌの隣に腰を下ろしたロベルトは、アレクサンドラの時の様に体を密着させてくることもなく、無理矢理にジャスティーヌの手を握ろうともしなかった。
 会場に下りたった瞬間、ジャスティーヌは自分が本命ではなく、お情けのおまけであることを痛切に感じざるを得なかった。
 舞踏会の会場で出迎えてくれたホーエンバウム公爵夫人は既にかなりの年配の寡婦で、日頃はこのような大掛かりな舞踏会を開いて居ないことは目にも明らかだった。
 招待客の数はランバール公爵家の舞踏会の数分の一程度、召使いの数もぐっと少なく、大きな舞踏会には不慣れなのが目を引いてしまうほどだった。また、招待客の年齢層は高く、その装いはずっと落ち着いて保守的な物で、王太子のエスコートだからと、豪奢なドレスを着て来たジャスティーヌが浮いてしまうほどだった。
「ああ、ロベルト、久し振りだこと。私ももう歳ね、最近は、すっかり王宮からも足が遠のいてしまったわ・・・・・・」
 ホーエンバウム公爵夫人が嬉しそうに言うと、ロベルトは大伯母である夫人の手にキスをした。
「お願いを聞いてくださってありがとうございます大伯母様」
「可愛いロベルトに頼まれたら、断れる願いなんてそう沢山はなくてよ」
 二人は、まるでそこにジャスティーヌが居ないかのように楽しげに言葉を交わした。
「ところでロベルト、何時になったらそちらの美しいご令嬢を私に紹介してくれるのかしら?」
 ホーエンバウム公爵夫人に問われ、ロベルトがジャスティーヌの手を取り一歩前へと促した。
「こちらは、アーチボルト卿のご息女、レディ・ジャスティーヌです。ジャスティーヌ、私の大伯母にあたるホーエンバウム公爵夫人だ」
 ロベルトに紹介され、ジャスティーヌは深々とお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、公爵夫人。ジャスティーヌと申します」
「ようこそ。あまり、若い人はいないけれど、ゆっくりと楽しんでいらしてね」
 公爵夫人は、聖母のような優しい眼差しでジャスティーヌのことを見つめた。
「ロベルト、さあ、皆が、あなたが踊るのを待っているわ」
 公爵夫人の言葉に、ロベルトはジャスティーヌの手を引いて広間の真ん中へと進みゆったりとしたワルツを踊った。
「ワルツは嫌い?」
 ロベルトに申し訳なくて、ついつい俯き加減になってしまうジャスティーヌに、ロベルトが問いかけた。
「いえ、そんな。殿下にお相手していただけるのに、嫌いなんて、そんな事ございません」
 ロベルトを好きだという想いと、ロベルト王子が好きなのはアレクサンドラとしての自分なのだという絶望、ジャスティーヌの世間体を考えてアレクサンドラの代わりに仕方なくロベルト王子を自分につき合わせているのだという申し訳なさでジャスティーヌの言葉はいつにも増してよそよそしいものになってしまう。
 いつも夢見るような瞳で自分のことを見つめていたジャスティーヌの態度の変化に、ロベルトは先日の痛恨のミスを改めて痛感させられた。
 社交界をほぼ引退したような大伯母に無理を言って舞踏会を開いて貰い、ジャスティーヌ狙いの若い男を締め出してジャスティーヌを独り占め出来たはずなのに、ジャスティーヌの態度はよそよそしく、ロベルトをみる目つきまで変わってしまっているように感じた。
「少し休んで、ドリンクでも楽しみましょう」
 踊るのを止め、給仕が運んできたグラスを取ってジャスティーヌに渡すと、ジャスティーヌの視線はロベルトから外れてグラスの中のシャンパンに向けられた。
「こちらに」
 ロベルトは言うと、広間の隅に用意されたカウチへとジャスティーヌを誘った。
 導かれる先が庭でなかったことにジャスティーヌは、ほっと息をついた。
 しかし、それはある意味、失望でもあった。
 ロベルトがジャスティーヌをジャスティーヌとして求めてくれるなら、突然の口づけも、きっと感じ方も違っただろうとジャスティーヌは思っていたが、肝心のロベルトにはジャスティーヌを誰もいない、二人だけになれる庭の四阿へと導くつもりも、歯の浮くようなお世辞の後に訪れる突然の口付けも計画にはないのだと思い知らされた。
 目の前ではじけるシャンパンの泡が、まるで自分の恋の結末ようにジャスティーヌは悲しかった。
「ジャスティーヌ?」
 今にも泣き出しそうな瞳を浮かべたジャスティーヌに、ロベルトが心配そうに声をかけた。
「申し訳ございません殿下・・・・・・」
 謝ることが大過ぎて、ジャスティーヌは言葉に詰まってしまった。
 露骨に自分と一緒では、つまらない思いをされているのでしょうと詫びれば、陛下の思いやりを否定することになってしまうと、ジャスティーヌはぎゅっとグラスを握りしめた。
「ジャスティーヌ? 何か心配事があるなら、話してくれてかまわないんだよ」
 ロベルトの優しさに、ジャスティーヌは涙がこぼれそうになった。
「いつも、君の隣にはアレクシス、私の周りには独身の野心家な女性達、こうして二人っきりで言葉を交わすのはどれほどぶりだろう。私はね、ジャスティーヌ、あなたとは身分を越えて、昔のままの、貴族の子息ロベルトと伯爵令嬢のジャスティーヌのままで居たいと、ずっとそう思っていたんだ」
 ジャスティーヌへの感情を必死に押し殺しているロベルトにとっては、精一杯の感情表現だった。
「そんな、もったいないお言葉ですわ。私は、しがない弱小伯爵家の娘、誇れることと言ったら、一族の歴史の長さ位です。所領を維持するのもやっとで、こうして殿下のお隣に座っても恥ずかしくない装いをさせていただけるのも、全て寛大な陛下のお心遣い故でございます」
 改めて口にしてみると、ジャスティーヌが着ているのは、アレクサンドラの為のドレスを仕立てるお金を流用して仕立てたドレスだと、ジャスティーヌは思い知らされた。
「あの、私、殿下にご迷惑をおかけしたくないので、次回からは、お誘いを辞退するように致します」
 自分が惨めで、恥ずかしくなり、ジャスティーヌは言った。
 その言葉に、ロベルトは違う意味で衝撃を受けていた。
 国王が取り持った見合い話だというのに、ジャスティーヌが誘いを断ると言うことは国王の逆鱗に触れるかもしれない行為、そこまでジャスティーヌにさせるとしたら、それは自分が知らない間にジャスティーヌに想い人ができたということに他ならないと。
「私とこうして出かけるのも、疎ましくお思いですか?」
 ロベルトの問いにジャスティーヌは、無言で頭を横に振った。
「では、昔のようにロベルトと呼んでください」
「そんな、とんでもこざいません。私のような者が、殿下をお名前でお呼びするなんて・・・・・・」
 恐れ多いと、ジャスティーヌが頭を横に振る。
 次の瞬間、ロベルトの手がジャスティーヌの手を掴んだ。
 ジャスティーヌの脳裏に先日の出来事が蘇り、ジャスティーヌの体がビクリと震えた。
「こちらへ」
 ロベルトはジャスティーヌに嫌われるのを覚悟でジャスティーヌの手を引いて広間を後にした。