初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・

 アレクサンドラがアントニウスの手を握り、ベッドサイドの椅子に腰かけていると、ノックの後、大公が差し向けた侍医が部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
 アレクサンドラは慌てて立ち上がると、侍医のために場所を開けた。
「ああ、どうぞそのままで。マリー・ルイーズ様にアントニウス様のご容態の説明をさせて戴きましたら、お嬢様にもお伝えするようにとの事でしたので、どうぞ、そうしてアントニウス様のお手を放さずにいらしてくださいませ」
 侍医は言うと、ベッドを挟んだ向かい側に立って説明を始めた。
「アントニウス様は、ポレモスの送りこんでいたスパイが放った凶弾、それはヤニス・ペレス大佐を狙ったものでした。本来であれば、ペレス大佐をお守りするべきディスマス・ガヴラス軍曹が、そして、アントニウス様をお守りするべきヴァシリキ・カストリア軍曹が受けるはずの弾をアントニウス様が受けておしまいになられました。この事は、お嬢様はご存じでいらっしゃいましたか?」
 侍医の問いに、アレクサンドラは無言で頷いた。
「左様でございましたか。大公はとてもお心を痛め、最前線にいらしたアントニウス様をお救いするため、外科的な処置に優れた侍医だけでなく、軍医、総合病院の医師、町医者に至るまで、可能な限りのすべての人材と物資を投じられ、前線から少し後退した場所でずっとアントニウス様の処置を行ってまいりました。端的に申し上げますと、アントニウス様の傷は深く、命にかかわるものではございましたが、処置は全て成功し、体内に残っていた弾の摘出も滞りなく行われました。アントニウス様は処置の間も呼吸を止めることはなく、心臓の拍動も止まることはなく、すべてに耐えられ現在に至っておりますが、被弾されて以来、一度も眠りから醒められておりません。処置の傷跡も、かなりふさがっており、発熱等の感染症の諸症状も見受けられず、なぜアントニウス様がお目覚めになられないのか、私共も途方に暮れているのでございます。アントニウス様が被弾されて半月、お目覚めになられないアントニウス様はお食事もされておりません。このままでは、お命にかかわってまいります」
 侍医の説明に、アレクサンドラは背中を冷たいものが流れていくのを感じた。
 顔色が悪いのは当然の事だったが、そこまで命の危機が迫っているとは、アレクサンドラは正直思っていなかった。心のどこかで、アントニウスならばすぐに目覚めると、自分が側に居れば目覚めてくれるような気がして、今にも死神がその鎌をアントニウスの上で振ろうとしているなどと、考えたこともなかった。
「私共も全力を尽くさせて戴きますが、お嬢様も、お心の準備が必要になるかもしれないことをお心にとめておいてくださいませ。では、失礼いたします」
 侍医は一礼すると、アレクサンドラに話をする暇を与えずに部屋から出ていった。
 アレクサンドラは侍医に言われたとおり、アントニウスの手をしっかりと握り、ベッドサイドの椅子に座り続けた。
 途中、ライラとソフィアに何度となく休憩を勧められたが、アレクサンドラはアントニウスの傍を去りがたく、お昼も軽食にしてもらい、アントニウスの隣で食事をした。

「アントニウス様、覚えていらっしゃいますか? いつもアントニウス様は私に堂々としているようにとおっしゃいました。アントニウス様のおかげで、私はこうして両親を説得し、止めるジャスティーヌを置いて、アントニウス様の所に来ることができました。あの日、アントニウス様が私の肩にかけたまま、お忘れになった上着も、ちゃんと持ってまいりました。・・・・・・・アレクシスも、アントニウス様の事を心配しております」
 アレクサンドラは『アレクシス』と言う瞬間、ライラ達に知れないようにギュッとアントニウスの手を握りしめた。
 しかし、アントニウスがアレクサンドラの手を握り返すことはなかった。

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