ミケーレに案内された部屋は見るからに豪華な客間だった。
 公爵家なのだから、伯爵家である実家と比べるだけ野暮な事はわかっているし、ましてやアントニウスの一存で、アレクサンドラの社交界デビューにかかる莫大な額の援助を見返りも求めずに出来たことから、ザッカローネ公爵家潤沢な資産と大公の従弟である公爵の偉大さは最初から分かっていたことだったが、事ここにきて、アレクサンドラはやはり自分がアントニウスの婚約者になるという事が非現実的なような気がして、ぎゅっと手を握り締めた。
「まもなく、お連れになられたメイドもこちらに案内されてまいりますでしょう」
 ミケーレは言うと、じっと考え込んでいるアレクサンドラの事を心配げに見つめた。
「アレクサンドラ様?」
 ミケーレの声に、アレクサンドラははっとすると、ミケーレを見上げた。
「お願いがあります」
「何でございましょうか? アレクサンドラ様は、アントニウス様の愛しの君、どうぞ、ご自分の執事と思って、お命じください」
 ミケーレは優しい笑みを浮かべて深々と頭を下げた。
 ミケーレにしてみれば、想いを残してアントニウスがエイゼンシュタインを去らねばならなかったことが一番悔やまれてならなかったところへ、アレクサンドラの方からアントニウスの元へと国境を越えてやって来てくれたことが何よりも嬉しかった。
「どうか、マリー・ルイーズ様に、私は行儀見習いとしてこちらに参ったと、そう皆さんに伝えて戴けるようにお伝えください」
 屋敷の女主人であるマリー・ルイーズにアレクサンドラを案内するようにと命じられた時から、ミケーレはアントニウスの想いが通じ、アレクサンドラがアントニウスの婚約者としてこの屋敷に来たのだと信じていたミケーレは、突然のアレクサンドラの言葉に答えを探してしばらく黙した。
「確かに、父はアントニウス様からの結婚の申し入れをとてもありがたく思っておりますし、マリー・ルイーズ様も好ましく思ってくださっています。ですが、この屋敷の主である公爵のお許しを受けないまま、アントニウス様の婚約者としてこのお屋敷に滞在することは、不遜とおもわれます」
 アレクサンドラが言葉を足すと、ミケーレはなるほどと言った表情を浮かべた。
「かしこまりました。私から、アレクサンドラ様のお気持ちは奥様に申し伝えます。ですが、このお屋敷で、一度奥様が決められたことを覆すことができるのは、アントニウス様くらいでございますから、どうぞ、ご安心くださいませ」
 ミケーレが笑みを浮かべてアレクサンドラに耳打ちしているところに、ノックをしてメイドのライラが部屋に入ってきた。
「ミケーレさん、私のメイドのライラです。至らないことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
 アレクサンドラがライラを紹介すると、ライラはミケーレに自己紹介して指導を願った。
「では、奥様には私からお伝えいたします。失礼いたします」
 ミケーレは深々と頭を下げ、アレクサンドラの部屋を後にした。
「お嬢様、お嬢様はミケーレさんをご存じなんですよね?」
 ライラは周りの様子を窺いながら問いかけた。
「ええ、知っているわ。立派な執事よ」
 二人の会話が終わらないうちに、ノックの音と共に扉が開かれ、アレクサンドラの荷物が部屋に運ばれてきた。
 慌てて荷造りしたことと、イルデランザの気候や習慣がわからなかったため、コンパクトにはしたものの荷物はそれなりの量があった。
「お嬢様、私は荷物を解いて、お嬢様がすぐにくつろげるように致しますから、しばらくお待ちくださいませ」
 ライラは言うと、長旅で自分も疲れているだろうに、休みもせずに荷解きを始めた。
 そんなライラを見つめながら、アレクサンドラはくつろいだ格好とは、いったいどの程度のものになるのだろうかと、少し不安に思いながら、窓辺の長椅子に体を預けた。
 こうして、揺れない椅子に座ってくつろぐのは、夜を過ごした宿を除けば数日ぶりのことだった。
 はるかに乗り心地のよいザッカローネ公爵家の馬車とはいえ、やはり一日乗り続けると体中が痛くなった。
 アレクサンドラは、気付かぬうちに旅の疲れから眠りに落ちていった。

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