急いで教会を後にし、屋敷でおよそお茶に出かけるフル装備ともいえるアントニウスが用意してくれた最高級のドレスに身を包み、これまたアントニウスの用意してくれた馬車に乗ってザッカローネ公爵家を訪ねると、マリー・ルイーズは花がほころぶような笑みを浮かべてアレクサンドラの事を迎えてくれた。
サロンで待たず、わざわざ戸口まで姿を現したマリー・ルイーズに、アレクサンドラが慌てて臣下の礼をとろうとすると、マリー・ルイーズがすっとアレクサンドラの腕を捉えた。
「そんな形式ばったお辞儀をする必要はないわ。私は、王族とはいえ、既にイルデランザに嫁いで身ですから。それに比べれば、アーチボルト伯爵家の方が今は飛ぶ鳥を落とす勢いでしょう。ロベルトとジャスティーヌさんがめでたく婚約されて、さあ、こちらにいらして・・・・・・」
マリー・ルイーズに腕を引かれるまま、アレクサンドラは豪華なサロンへと足を踏み入れた。
「急なご招待で、本当にごめんなさいね。でも、一人で屋敷に居るともう、誰かとお話がしたくて。それで、ずっとお屋敷に籠っていらしたアレクサンドラさんなら、有効な時間の使い方をご存じではないかと、思い立ったらいてもたってもいられなくなってしまったの」
マリー・ルイーズのマシンガンのような話に、アレクサンドラは言葉を挟むことができず、笑顔で話を聞き流す他なかった。それに、本当に時間のつぶし方を訪ねられたとしても、実際はアレクシスとして毎日外に出ていたアレクサンドラに、有効な時間のつぶし方に想いたることなど全くない。
「ほんとに、せっかくアントニウスの傍にと思ってエイゼンシュタインに戻ってきたというのに、寂しくてたまらないわ」
マリー・ルイーズは大きなため息をついた。
「毎日、教会でアントニウス様のご無事をお祈りいたしております」
アレクサントラが『アントニウス』の名を出すと、キラリとマリー・ルイーズの瞳が光った。
「まあ、なんて心優しい方なのアレクサンドラさん、毎日、わざわざ教会まで足を運んでくださっていらっしゃるの?」
「そんな、所領の小さな教会ですから、それに、ジャスティーヌの事で色々とあちこちで私の事も話題になっているとか、大聖堂や目立つ場所では毎日窺えないので、申し訳なく思っております」
「そんなことはなくてよ。たとえ小さな教会であろうと、大聖堂であろうと、お聞きくださるのは天にいらっしゃる神様ですもの。教会の大小なんて、お気になされるわけないわ。それに、もし、気になされるなら、最初から神の家は大聖堂でなくてはいけないと、聖典におしるしになられるはずでしょう」
マリー・ルイーズの言葉に、アレクサンドラも頷いた。
「でも、あの子ったら、アレクサンドラさんと婚約もしないまま、帰国することになるなんて、それだけが不憫だわ。アレクサンドラさんも、そのつもりでいてくださったのでしょう?」
マリー・ルイーズの問いに、アレクサンドラは答えに窮した。
「そんな、私のような弱小伯爵家の娘が公爵家のご嫡男とだなんて、恐れ多くて・・・・・・」
「それは、過去のお話でしょう。いずれは、王太子妃の妹となるのですよ。末は、国王の義理の妹。私よりも身分が上になるのはお判りでしょう? そうお考えになったら、少しはアントニウスとの事を真剣に考えてくださっていると思ってもよろしくて?」
アントニウスの事を真剣に考えているのかと問われれば、答えは一つだ。アレクサンドラは身も心もアントニウスに捧げる決心をしている。だが、その事をマリー・ルイーズの耳に入れていい物なのか、アレクサンドラは決断できずにいた。
「ああ、きっと、あの子の過去の事を気になさっていらっしゃるのね」
アレクサンドラが何も言わないうちに、マリー・ルイーズが再び口を開いた。
「確かに、あの子は昔から気が多い子でしたわ。そう、アレクサンドラさんとお目にかかるまではと、言うべきですわね。でも、それはもうスッパリと、心を入れ替えましたのよ。アレクサンドラさんと出会い、親しく接するようになってからというものは、それこそ、執事のミケーレも驚くほどの変わりようだったとか。もう、他の誰も目に入らないと。あの子の変わり方が突然だったので、私も何事かと心配になってしまいましたけれど、お相手がアレクサンドラさんだとわかり、もう大賛成だと伝えましたのよ」
マリー・ルイーズの話の展開にアレクサンドラは相槌を打つタイミングも見つけられず、ただただ、話に耳を傾けるしかなかった。
「それにしても、忌々しい国ですわ、あのポレモスという国は。まさに、蛮族というのがぴっだりの野蛮さですし、私共の所領の一部も国境線に近いために、しょっちゅう戦場の様になって、主人が住民を他の所領に移動させたりと、本当に、大変でしたわ。そういえば、所領の民と言えば、あの鼻持ちならないバルザック家がとうとう、お兄様の逆鱗に触れたそうですわね」
バルザックの名に、アレクサンドラはあの晩の出来事を思い出した。
アレクシスとして暮らしていた間、一度たりともフランツに後れを取ったことも、後ろを取られた事もなかった。それなのに、あの晩、フランツに掴まれた腕はびくとも動かず、今にも唇を奪われそうになった恐怖がよみがえった。
突然蒼褪めたアレクサンドラに、さすがにマリー・ルイーズも言葉を飲んだ。
「アレクサンドラさんは、あのカルザスの息子に乱暴されそうになったんだそうですわね」
マリー・ルイーズの言葉は新たな恐怖をアレクサンドラに湧き起こさせた。
もし、社交界であの晩の事が人々の口にのぼったとしたら、大変な事になってしまうと、アレクサンドラは身を固くした。
「ご心配なさらないで、この事は、レオポルトが不当な措置だとお兄様に言いつのっているところにたまたま居合わせた私が、偶然聞いてしまっただけですの。他の誰の耳にも入っておりませんから、ご安心なさってね。兄上、いえ、陛下があのレオポルトに息子のフランツがアレクサンドラさんに乱暴を働こうとしたこと、その息子のフランツが民から搾取できるだけ搾取することで豊かに暮らすことができると、あなたに話したことを陛下が告げると、レオポルトは愕然として、うなだれて帰っていきましたのよ」
マリー・ルイーズは楽しそうに言ったが、アレクサンドラとしては安心できなかった。常々、ロベルトが『王宮はまさに壁に耳あり障子に目あり、誰にも聞かれていないと思っていても、見えないところで誰かが聞いている可能性がある』と話していたことを知っているから、マリー・ルイーズが偶然居合わせて聞いたとしたなら、他にも偶然耳にした人物の一人や二人はいたはずだった。
「兄上が間に合ってようございましたわ。あのようなフランツのような心根の卑しいものがアレクサンドラさんの身に触れようとしたなんて、アントニウスが知ったらどれほど腹立たしく思う事か・・・・・・」
マリー・ルイーズは悔しそうに言ってから、ゆっくりと体を前に出すと、手を伸ばして震えそうなアレクサンドラの手を掴んだ。
「非力なレディを力づくでどうこうしようなどという卑劣な事をお兄様は決してお許しになる方ではありません。だから、あなたの名誉は兄上が、陛下が王権を以て守ってくれます。だから、あの晩のことは忘れておしまいなさい。よろしいですね」
まるで母の様に優しいマリー・ルイーズに、アレクサンドラは涙を零した。
「お茶が冷えてしまったわね。いま、入れ替えさせましょう」
マリー・ルイーズは言うと、立ち上がってアレクサンドラに背を向けた。その隙にアレクサンドラは袖の中に隠し持っていたハンカチで手早く涙をぬぐった。
マリー・ルイーズが呼び鈴を鳴らし、メイドが姿を現すと、マリー・ルイーズは手早くお茶の入れ替えを命じた。
お茶はすぐに入れ替えられ、それと共にお茶菓子も追加で届けられた。
「この戦争が終わったら、間違いなく、アントニウスを呼び戻しますから、それまで・・・・・・」
さすがのマリー・ルイーズも、アレクサンドラにアントニウスを待っていてくれとは、はっきり言えなかった。
「私は、どなたにも嫁ぐつもりはございません」
アレクサンドラが言うと、マリー・ルイーズが驚いたように目を見開いた。
「父には、そう伝えてあります。ですから、私に縁談は来ないと思っております」
アレクサンドラが言葉を継ぐと、マリー・ルイーズは安心したようだった。
それから、お茶とお茶菓子を戴き、マリー・ルイーズの弾丸トークを受け止めてから、アレクサンドラはザッカローネ公爵家を後にした。
☆☆☆
サロンで待たず、わざわざ戸口まで姿を現したマリー・ルイーズに、アレクサンドラが慌てて臣下の礼をとろうとすると、マリー・ルイーズがすっとアレクサンドラの腕を捉えた。
「そんな形式ばったお辞儀をする必要はないわ。私は、王族とはいえ、既にイルデランザに嫁いで身ですから。それに比べれば、アーチボルト伯爵家の方が今は飛ぶ鳥を落とす勢いでしょう。ロベルトとジャスティーヌさんがめでたく婚約されて、さあ、こちらにいらして・・・・・・」
マリー・ルイーズに腕を引かれるまま、アレクサンドラは豪華なサロンへと足を踏み入れた。
「急なご招待で、本当にごめんなさいね。でも、一人で屋敷に居るともう、誰かとお話がしたくて。それで、ずっとお屋敷に籠っていらしたアレクサンドラさんなら、有効な時間の使い方をご存じではないかと、思い立ったらいてもたってもいられなくなってしまったの」
マリー・ルイーズのマシンガンのような話に、アレクサンドラは言葉を挟むことができず、笑顔で話を聞き流す他なかった。それに、本当に時間のつぶし方を訪ねられたとしても、実際はアレクシスとして毎日外に出ていたアレクサンドラに、有効な時間のつぶし方に想いたることなど全くない。
「ほんとに、せっかくアントニウスの傍にと思ってエイゼンシュタインに戻ってきたというのに、寂しくてたまらないわ」
マリー・ルイーズは大きなため息をついた。
「毎日、教会でアントニウス様のご無事をお祈りいたしております」
アレクサントラが『アントニウス』の名を出すと、キラリとマリー・ルイーズの瞳が光った。
「まあ、なんて心優しい方なのアレクサンドラさん、毎日、わざわざ教会まで足を運んでくださっていらっしゃるの?」
「そんな、所領の小さな教会ですから、それに、ジャスティーヌの事で色々とあちこちで私の事も話題になっているとか、大聖堂や目立つ場所では毎日窺えないので、申し訳なく思っております」
「そんなことはなくてよ。たとえ小さな教会であろうと、大聖堂であろうと、お聞きくださるのは天にいらっしゃる神様ですもの。教会の大小なんて、お気になされるわけないわ。それに、もし、気になされるなら、最初から神の家は大聖堂でなくてはいけないと、聖典におしるしになられるはずでしょう」
マリー・ルイーズの言葉に、アレクサンドラも頷いた。
「でも、あの子ったら、アレクサンドラさんと婚約もしないまま、帰国することになるなんて、それだけが不憫だわ。アレクサンドラさんも、そのつもりでいてくださったのでしょう?」
マリー・ルイーズの問いに、アレクサンドラは答えに窮した。
「そんな、私のような弱小伯爵家の娘が公爵家のご嫡男とだなんて、恐れ多くて・・・・・・」
「それは、過去のお話でしょう。いずれは、王太子妃の妹となるのですよ。末は、国王の義理の妹。私よりも身分が上になるのはお判りでしょう? そうお考えになったら、少しはアントニウスとの事を真剣に考えてくださっていると思ってもよろしくて?」
アントニウスの事を真剣に考えているのかと問われれば、答えは一つだ。アレクサンドラは身も心もアントニウスに捧げる決心をしている。だが、その事をマリー・ルイーズの耳に入れていい物なのか、アレクサンドラは決断できずにいた。
「ああ、きっと、あの子の過去の事を気になさっていらっしゃるのね」
アレクサンドラが何も言わないうちに、マリー・ルイーズが再び口を開いた。
「確かに、あの子は昔から気が多い子でしたわ。そう、アレクサンドラさんとお目にかかるまではと、言うべきですわね。でも、それはもうスッパリと、心を入れ替えましたのよ。アレクサンドラさんと出会い、親しく接するようになってからというものは、それこそ、執事のミケーレも驚くほどの変わりようだったとか。もう、他の誰も目に入らないと。あの子の変わり方が突然だったので、私も何事かと心配になってしまいましたけれど、お相手がアレクサンドラさんだとわかり、もう大賛成だと伝えましたのよ」
マリー・ルイーズの話の展開にアレクサンドラは相槌を打つタイミングも見つけられず、ただただ、話に耳を傾けるしかなかった。
「それにしても、忌々しい国ですわ、あのポレモスという国は。まさに、蛮族というのがぴっだりの野蛮さですし、私共の所領の一部も国境線に近いために、しょっちゅう戦場の様になって、主人が住民を他の所領に移動させたりと、本当に、大変でしたわ。そういえば、所領の民と言えば、あの鼻持ちならないバルザック家がとうとう、お兄様の逆鱗に触れたそうですわね」
バルザックの名に、アレクサンドラはあの晩の出来事を思い出した。
アレクシスとして暮らしていた間、一度たりともフランツに後れを取ったことも、後ろを取られた事もなかった。それなのに、あの晩、フランツに掴まれた腕はびくとも動かず、今にも唇を奪われそうになった恐怖がよみがえった。
突然蒼褪めたアレクサンドラに、さすがにマリー・ルイーズも言葉を飲んだ。
「アレクサンドラさんは、あのカルザスの息子に乱暴されそうになったんだそうですわね」
マリー・ルイーズの言葉は新たな恐怖をアレクサンドラに湧き起こさせた。
もし、社交界であの晩の事が人々の口にのぼったとしたら、大変な事になってしまうと、アレクサンドラは身を固くした。
「ご心配なさらないで、この事は、レオポルトが不当な措置だとお兄様に言いつのっているところにたまたま居合わせた私が、偶然聞いてしまっただけですの。他の誰の耳にも入っておりませんから、ご安心なさってね。兄上、いえ、陛下があのレオポルトに息子のフランツがアレクサンドラさんに乱暴を働こうとしたこと、その息子のフランツが民から搾取できるだけ搾取することで豊かに暮らすことができると、あなたに話したことを陛下が告げると、レオポルトは愕然として、うなだれて帰っていきましたのよ」
マリー・ルイーズは楽しそうに言ったが、アレクサンドラとしては安心できなかった。常々、ロベルトが『王宮はまさに壁に耳あり障子に目あり、誰にも聞かれていないと思っていても、見えないところで誰かが聞いている可能性がある』と話していたことを知っているから、マリー・ルイーズが偶然居合わせて聞いたとしたなら、他にも偶然耳にした人物の一人や二人はいたはずだった。
「兄上が間に合ってようございましたわ。あのようなフランツのような心根の卑しいものがアレクサンドラさんの身に触れようとしたなんて、アントニウスが知ったらどれほど腹立たしく思う事か・・・・・・」
マリー・ルイーズは悔しそうに言ってから、ゆっくりと体を前に出すと、手を伸ばして震えそうなアレクサンドラの手を掴んだ。
「非力なレディを力づくでどうこうしようなどという卑劣な事をお兄様は決してお許しになる方ではありません。だから、あなたの名誉は兄上が、陛下が王権を以て守ってくれます。だから、あの晩のことは忘れておしまいなさい。よろしいですね」
まるで母の様に優しいマリー・ルイーズに、アレクサンドラは涙を零した。
「お茶が冷えてしまったわね。いま、入れ替えさせましょう」
マリー・ルイーズは言うと、立ち上がってアレクサンドラに背を向けた。その隙にアレクサンドラは袖の中に隠し持っていたハンカチで手早く涙をぬぐった。
マリー・ルイーズが呼び鈴を鳴らし、メイドが姿を現すと、マリー・ルイーズは手早くお茶の入れ替えを命じた。
お茶はすぐに入れ替えられ、それと共にお茶菓子も追加で届けられた。
「この戦争が終わったら、間違いなく、アントニウスを呼び戻しますから、それまで・・・・・・」
さすがのマリー・ルイーズも、アレクサンドラにアントニウスを待っていてくれとは、はっきり言えなかった。
「私は、どなたにも嫁ぐつもりはございません」
アレクサンドラが言うと、マリー・ルイーズが驚いたように目を見開いた。
「父には、そう伝えてあります。ですから、私に縁談は来ないと思っております」
アレクサンドラが言葉を継ぐと、マリー・ルイーズは安心したようだった。
それから、お茶とお茶菓子を戴き、マリー・ルイーズの弾丸トークを受け止めてから、アレクサンドラはザッカローネ公爵家を後にした。
☆☆☆



