ノックの後、入ってきたライラの手には紐でくくられた塊が抱えられていた。
「どうしたの、ライラ?」
 アレクサンドラが怪訝そうな表情を浮かべると、ライラはアレクサンドラの文机の上にその束を置いた。
「アレクサンドラお嬢様、これは、すべて本日になってイルデランザ公国から届いたそうでございます」
 ライラの言葉にアレクサンドラは慌てて長椅子から立ち上がると文机へと歩み寄った。
 粗い麻紐のようなものでくくられた束は、土の汚れや、多くの人の手を経てきたのであろう、よれよれな物が多かったが、紐を解いてみるまでもなく、それらは上質な公爵家の紋章の入った上質の封筒だとわかった。
 その純白の封筒が煤け、汚れ、しわだらけになり、その色を鈍色に変えるほど、イルデランザ公国の様子は、いや、アントニウスがいる場所は厳しい場所なのだと、アレクサンドラは考えるとアントニウスの事が心配になり、ぎゅっと縛られた麻紐を必死に素手で解こうとした。
「お嬢様、おやめください。怪我をなさいます」
 慌てたライラがアレクサンドラを手紙の束から引き離すと、『失礼いたします』と一声かけてから文机の引き出しを開け、はさみを取り出した。そして、手紙たちを解き放つかのように、プツリ、プツリと麻紐を切った。
「ありがとう、ライラ。後は、一人で大丈夫よ」
 アレクサンドラが言うと、ライラは『失礼いたします』と一礼して部屋から出ていった。
 およそ、一月分の手紙の度から読んでいいのかアレクサンドラが戸惑っていると、封筒に乱暴に刻まれた日付が目に入った。それは、すべての封筒に記載されていた。
「本当に、毎日手紙を書いてくださったの?」
 アレクサンドラの瞳から涙が零れ、アレクサンドラは土のにおいのする封筒をぎゅっと胸に書き抱いた。

(・・・・・・・・きっと、アントニウス様は、返事を書かない私を酷い女だと思っていらっしゃるに違いない・・・・・・・・)

 届かない以上、返事を書けないことなど、アントニウスは百も承知だったのだが、平和な国でそだったアレクサンドラには、隣国の戦争は、果てしなく遠い地で起きているように感じられた。
 アレクサンドラは、文机の椅子に腰を下ろすと、日付の古い手紙から読み始めた。

 帰国の翌日には戦地に赴いたこと、そして、最前線へ赴いたこと。最前線では、厳しい戦いが続いていることが書かれていた。
 最前線というだけで、どこにいるのかも、厳しい戦いというものがどんなものなのかも詳しくはわからなかったが、それは、極秘事項なのだと、戦争を知らないアレクサンドラにも理解できた。
 最初の数日は、数ページあった手紙も、すぐに一枚だけになった。
 そして、内容も飾り気を失い、無事でいること、けがをしてはいないこと。そして、アレクサンドラと過ごした日々を懐かしく感じると、綴られるだけになった。それでも、手紙は絶えることなく、アントニウスが帰国した日から、ずっと続いていいた。
 アントニウスが本当に元気だということは、その文字からアレクサンドラにも感じることができ、アレクサンドラは手紙を胸に涙を零した。
 次の瞬間、ノックもなくバンと扉が音を立てて開き、続きの間からジャスティーヌが駆け込んできた。
「アレク、アントニウス様からの手紙って、何があったの?」
 アレクサンドラの涙を誤解したジャスティーヌが顔を蒼褪めさせて走り寄ってきた。
「アレク、アントニウス様の身に何か?」
 ただ事ならぬジャスティーヌの様子に、アレクサントラの方が驚いてジャスティーヌの事を見上げた。
「イルデランザから知らせがあったと、ライラが教えてくれたの」
 ジャスティーヌは少し声を震わせながら言うと、文机の上に広げられた手紙の山を見つめた。
「大丈夫よ。アントニウス様はご健勝でいらっしゃるわ。毎日書いて下さった手紙が、今日、まとめて届いただけよ」
 アレクサンドラが説明すると、ジャスティーヌは安堵のため息をついた。
「よかった。ライラが不安そうに、イルデランザからの手紙が紐で縛られて届いたって。昔々に、曾祖父さんから聞いた、戦地で殉職した人の荷物が届けられるようだったって言うから」
「大丈夫よ。ライラに、そんな不吉なことを口にするなって言っておいて。私が言うと、きっと気にするから」
 アレクサンドラのレディらしい言葉に、アレクサンドラの中にはもうアレクシスはいないのだと、ジャスティーヌは感じた。
「そういえば、アントニウス様からの手紙に、アレクシスに逢いたいって、書いてあったわ」
 『アレクシス』という言葉に、ジャスティーヌはドキリとした。
「田舎に帰ったアレクシスは、今頃元気で過ごしているのでしょうかって」
「それって・・・・・・」
 ジャスティーヌは言葉に詰まった。
「おかしいわよね。私もアレクシスも同じ人間なのに、どれほど私と過ごしても、一緒に杯を酌み交わし、遠乗りに出かけたアレクシスが懐かしいって。でも、私たちにアレクシスの事を聞くのって、もう今はアントニウス様くらいでしょう。田舎に帰ったと説明したころは、手紙や伝言やいろいろあったのに、今はもう社交界にアレクシスが居たなんて誰も覚えていないのよ。それを考えたら、私のあのドレスなんて着たくないなんて身勝手は、何の意味もなかったのよね。だって、結局、この世にはアレクサンドラはしか元々居なかったんですもの。仕方ないわよね。それに、最近、私も本当に自分がアレクシスだったのかなって、あのフランツと決闘したなんて。それなのに、あのフランツがアントニウス様と私を取り合うなんて、考えれば考えるほど、信じられないわ」
 アレクサンドラは言うと、寂しげな笑みを浮かべた。
 ジャスティーヌには、まるでアレクサンドラがそのまま消えてしまいそうな気がして、アレクサンドラの腕をぎゅっと掴んだ。
「アレク、アレクシスもあなたも、この世界にはちゃんと存在していたわ。みんながアレクシスの事を口に出さないようになったのは、あなたのデビューがあって、一時的にあなた自身が話題になっているからよ。それに、一時はあなたと親密だといわれたアレクシスが田舎に帰り、あなたのそばにはアントニウス様。話の切り出しようがないでしょう。話をしたくても、みんなあなたには近づけないんですもの・・・・・・」
 ジャスティーヌの言葉が少し不自然なくらい小さくなった。それは、アントニウスがいない今、アレクサンドラを狙っている独身の貴族子弟達からアレクサンドラを守ってくれる存在がいないことを意味していた。
「大丈夫よ、ジャスティーヌ。私は、誰にも嫁がないってお父様にも宣言したし、お父様もそれでよいっておっしゃってくださったから」
 それは、あくまでもアントニウスが戦地から戻り、再びエイゼンシュタインにやってくるまでという期限付きではあるが、少なくとも、アレクサンドラを権力争いに巻き込まないと父のルドルフが約束してくれたことは事実だった。
「私、手紙にお返事を書かなくては・・・・・・」
 アレクサンドラの一人になりたいという、やんわりとした申し出に、ジャスティーヌは『たくさん書かないとね』と笑顔で返し、自分の部屋へと戻っていった。