大公との謁見は通り一遍の謁見よりも、親族の再会の場と言えるようなアットホームな雰囲気があった。それでも、大公の顔からは笑みが消え、疲労の色が濃かった。
 謁見の間を辞し、父と別れ、軍人の顔になったアントニウスは陸軍参謀室に向かった。

 大公の住まう宮殿の一角に設けられた陸軍参謀室では、参謀室の責任者であるコリントス中将の背面の壁と中央に用意された大きな台の上に巨大な地図がまるでこの世界全体の地図のように配置されていた。
 陸軍参謀室付きの大尉であるアントニウスは以前の演習の際に目にしたことはあるが、陸軍の兵士でも滅多に目にすることのできない、参謀室向けの特別仕様の地図だった。
 この日ごろは目にすることのない地図が大きく張り出されていることから、今回の戦が今までの小競り合いとはレベルが違い、両国ともにこの戦に本腰を入れていることを物語っていた。
「中将閣下、アントニウス・メルクーリ大尉、ただ今、参謀室に入室致しました」
 背を向けているコリントス中将に声をかけると、地図を見つめていた中将が振り返り頷いた。それと同時に、若い軍曹がアントニウスの元に走り寄ってきた。
 顔には見覚えがあるような気はしたが、公爵家嫡男である権利を最大限に悪用しているともいえるアントニウスは、年に数ヶ月は軍どころか国を離れ、エイゼンシュタインで過ごしている。言わば参謀室に籍を置いているだけで実質的にはほとんど軍部の活動には参加していない、どちらかといえば名ばかり大尉というのがアントニウスの実態だった。それに、大尉の階級は公爵家の嫡男に与えられた名誉職で、軍籍に身を置いているからと言って、アントニウスに国から給与が支給されているわけではない。簡潔に言うならば、父の公爵が長い間渋り、名乗ることを許さなかったファーレンハイト伯爵に与えられるべき名誉職だ。それでも、名ばかりとはいえ、身に着けた大尉の勲章に恥じない態度でアントニウスは走り寄ってきた軍曹の方を向いた。
「失礼いたします大尉。自分は、軍曹のヴァシリキ・カストリアと申します。この度、メルクーリ大尉付に任命されました」
 軍曹は言うと、ピシっと敬礼した。
「軍曹、楽にしたまえ。これから、よろしく頼む。・・・・・・実は、今日帰国したばかりで、私の執事が荷物をまとめている、悪いが屋敷まで取りに行ってもらえるか?」
 アントニウスの言葉に、ヴァシリキは言うと、再び敬礼をして参謀室から走り出ていった。
「よろしく頼む・・・・・・」
 アントニウスの声は、ヴァシリキには届かなかった。
「閣下・・・・・・」
「メルクーリ大尉、今回の戦は、君のような坊ちゃん育ちにはつらいものになるだろう」
 中将は言うと、アントニウスに背を向け、中央に広げられた地図に正確に展開されている自国の陸軍部隊とポレモスの軍勢が小競り合いを起こしたという草原地帯に展開されている軍勢は目を見張るほどの数だった。
「ポレモスに、これほどの軍備があったのですか?」
 思わずアントニウスは声に出して、誰にともなく問いかけた。
 最前線から送られてきたレポートに合わせ、細々と両軍の位置を調整する参謀室の面々の細かい作業を見ながら、アントニウスは資料を片手に空いている席に腰を下ろした。
 その後、アントニウスの荷物を取りに行ったヴァシリキが戻り、それぞれ任務を帯びて各部門や部署へ派遣されていた参謀室に籍を置く面々が一堂に会し、中将の指揮の下、現在はまだ表向きには開戦していないポレモスとの戦況に関する報告と、今後派遣される各陸軍と行動を共にし、より作戦活動を効果的に遂行するための参謀武官の任命が行われた。
 アントニウスも前線に派遣される参謀武官の一人として、最前線とまではいかなかったが、今までならば考えられないほどの前線に赴くことが決まった。
「今後は、参謀室との連携にはそれぞれ、同行させる連絡官を介してのみ、機密情報のやり取りが行われる。連絡官以外からの接触には、参謀室は情報を流さない。また、明日の午前九時を以て、貴君らは大公宮殿を発し、各自同行する部隊に合流することとなる。貴君らの健闘と、無事を祈る」
 敬礼する中将に一堂に会した参謀武官が全員、息を揃えたかのように見事な敬礼を返した。