中継地で、あらかじめミケーレが手配してくれていた早馬に馬を交換しながら、アントニウスは来た時に三倍以上のスピードで、昼夜問わずにエイゼンシュタインからイルデランザへと駆け抜け、さらに屋敷のある首都まで食事の間も、寝ている間も馬車に揺られながら進んだ。
 一応、陸軍に所属しているので、揺れる馬車の中で寝起きし、食事するのに慣れているとまでは言えないが、それなりのコツは掴んでいるアントニウスは、風のように疾走する馬車の中から遠くなっていくエイゼンシュタインの方向を見つめ、ため息をついた。
 もっと話したかったこと、もっと伝えたかったことは沢山あったが、結局、アレクサンドラを前にすると決心が鈍り、ろくな別れの挨拶もできないまま、逃げ帰ったというのが事実だった。それでも、お気に入りのコートがアレクサンドラの元にあると思うと、アントニウスは少しだけ安心することができた。


 何度目かの夜が明け、激しい揺れに耐え、今にも空中分解するのではないかと心配になるほどの衝撃を受け続けた馬車を引く馬が減速し、背の高い黒々とした木々の合間を走る長い門からの道を抜け、馬車はやっとザッカローネ公爵家の正面玄関前で停車した。
「これでは、陸軍の特攻訓練だったぞ」
 アントニウスは言うと、御者が扉を開けてくれるのも待たずに馬車から飛び降りた。
 それなりにクッションのきいた上質の馬車ではあったが、馬をつなぎなおす短い時間以外停車せず、走り続けてきた馬車は乗り物というよりも、アントニウスを護送する警吏の護送車の様にも感じた。
 改めて正面に立ち見上げると、石造りの豪奢で明るい色合いのエイゼンシュタインの屋敷と比べると、イルデランザの屋敷は石造りの屋敷の外壁は雨風をしのぐために白い漆喰で塗り固められ、アクセントに黒い木製の柱を用いて幾何学模様を描く、その白と黒のモノトーンの色調が重厚で重苦しいイメージを与えた。久しぶりの我が家の外観に、アントニウスは帰国してしまったのだという実感を深めた。

「アントニウス様、お帰りなさいませ」
 姿を現した家令が丁寧にアントニウスを迎えてくれた。しかし、アントニウスの気分は我が家に帰宅したというよりも、どこかの監獄の前に護送されたような気分だった。
「旦那様が、書斎でお待ちでございます」
 有無を言わせず発せられた家令の言葉に、アントニウスはここが本当にザッカローネ公爵邸なのか、それとも地獄の入り口なのかを確認するように頭を軽く振って自分を正気に戻そうとした。
「わかった。着替えたら、すぐに顔をだす」
 寝不足で働かない頭に鞭打つようにして言うと、家令は即答した。
「いえ、そのまま、直接書斎にとのご命令でございます」
 一瞬、ミケーレが間に入ろうとしたが、アントニウスはそれを手で制して問い返した。
「まさか、それは参謀総長としての命令か?」
「さようでございます」
 家令は言うと、優雅な身のこなしでアントニウスを屋敷の中へと導いた。


 書斎の扉を開けると、既に軍服に身を包んだザッカローネ参謀総長がアントニウスを迎えた。それは、決して微笑ましい親子の再会ではなく、参謀総長、ファーレンハイト大尉と参謀総長の非公式の面会だった。
「遅かったな」
 昼夜を問わずにエイゼンシュタインから駆け戻ったアントニウスは少し眉を寄せた。
「事は急を要する。直ちに軍服に着替え、私と共に大公殿下に謁見し、明日の出立の支度を整えるように」
「明日ですか?」
 思わず、言葉がアントニウスの口からこぼれ出た。
「お前には、十分な休暇を与えたはずだ。嫁も娶り切れず、独り身で戦地に赴く自分の不甲斐なさを反省するのだな」
 公私混同したありがたくもない父の言葉に、アントニウスは反論したかったが、寝不足の頭がそれを許さなかった。
「では、支度をして参ります」
 アントニウスが答え、書斎を出ていこうとすると、父の公爵が咳ばらいをした。
「アントニウス、その・・・・・・、あの・・・・・・だな・・・・・・」
「母上でしたら、お元気でいらっしゃいます。パレモスとの戦が始まることに不安を示されていらっしゃいましたが・・・・・・」
「このたわけ者が!」
「なんですか、父上いきなり・・・・・・」
「あれに戦に行くと話してきたのか? まったく、どれほど苦労して父があれの意識を戦から遠のけようと、あの手この手で話題を変えて切り抜けたというのに、お前は考えもなしに話してきたというのか!」
 父の怒りは、アントニウスのすり減った神経を逆なでし、怒りの導火線に火を点けた。
「仕方がないでしょう! 私だって大変な思いをしたんですから。必死に愛する人にこちらを向いてもらおうと悪戦苦闘していたというのに、母上が暴走気味の前のめり状態で愛しい人に無理やり迫って、屋敷の中も顔を合わせないように互いに相手を牽制しあって、母上が私の愛しい人の気持ちを無理やりに私に向けようとしているのを妨害するだけで消耗していたというのに、前振りもなく、いきなり帰国するなんて、本当の事を言わなければ、母上が許すはずがないではありませんか。それに、中途半端で帰国したら、母上も一緒に帰ってきてしまいますよ。帰国するという母上を戦だから、安全なエイゼンシュタインに残るように説得するのだって大変だったんですからね!」
 珍しく声を荒立てるアントニウスに、なぜか父は不気味なほどに顔を綻ばせた。
「そうか、お前も本当の恋をしたのか・・・・・・」
 呟くようにして言ってから、公爵は少し顔を曇らせた。
「大公殿下より、やはり国の平和のためグランフェルド公国大公女をお前の妻にとの話が来ているのだが・・・・・・」
「その話ならば、あちらからお断りが来たのではないのですか?」
「グランフェルド公国とて、ポレモスに国境を接しているからな。可能な限り強固な同盟関係を結んでおきたいというのが本心だ。何しろ、我が国は六ヶ国同盟に加盟しているから、受けられる支援も半端ではない。そこを突いて、逆にポレモスがグランフェルド公国大公女を皇帝の妻にと持ち掛けているらしい」
「皇帝ですか? まったく、自国の王族の首を刎ねて共和制を敷いたと思ったら、今度は成り上がり者が皇帝を名乗るのですか? 世も末ですね・・・・・・」
 アントニウスは吐き捨てるように言った。
「とにかく、早く仕度をしなさい。お前は陸軍参謀、必要であれば、戦地まで従者の同行を許される。軍から選ぶもよし、ミケーレを伴うもよし、好きにするがよい」
「ありがとうございます」
 アントニウスは言うと、ピシッと敬礼してから父の書斎を後にした。