初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・

 自室に戻ったアントニウスは、大きな溜め息をつきながらカウチに身を投げた。
 何度目かの溜め息をついたところでノックがあり、執事のミケーレが部屋へと入ってきた。
「ブランデーコーヒーでございます」
 お酒がな飲みたい気分であることを察しながら、さすがに昼日中からの飲酒はマリー・ルイーズの手前、アントニウスも控えるだろうと、気を回してのことだった。
「ミケーレ、お前はアポロニアとの話、知っていたのか?」
 コーヒーを受け取りながらアントニウスが尋ねた。
「詳しくは存じておりません。ですが、アポロニアお嬢様がアントニウス様に恋していらっしゃることは、一族の中でも比較的よく知られた事だったと存じます」
 ミケーレの言葉にアントニウスは驚愕した。
「アポロニアが私を?! ミケーレ、悪い冗談は止めてくれ。あれは可愛い妹、私にとってそれ以上にはなり得ない。妹と結婚? そんなことをしたら、一生ままごと夫婦のまま終わるぞ。幾ら社交界にデビューしたとは言え、あんな子供、抱くどころか、触れる気なぞ起こるはずもない。まったく、アポロニアを妻になどしたら、我が家は跡取りがないまま、爵位没収になるぞ!」
 アルコールのせいか、アントニウスの言葉は開けっぴろげになってきていた。
「あのお子様のアポロニアが私に恋?! 悪い冗談も良いところだ!」
 アントニウスはいうと、再び大きな溜め息をついた。
「アポロニアと結婚するくらいなら男と結婚した方がましだ! そうだ、男なら遠乗りも早駆けも、狩猟だって一緒に行かれる。サロンでも一緒に居られるし、他人の目を気にせず肩も抱ける」
 そう言うアントニウスの脳裏には、鮮明にアレクシスだったころのアレクサンドラの姿が蘇っていた。
 いつも丁々発止、まるで喧嘩寸前の様でありながら、貴族でない身とは思えぬ漂う高貴さに、ロベルトでさえそばに居ることを許し、サロンでは何度も酒を酌み交わしたことがあった。あの女性とは思えない飲みっぷりの良さ、あの線の細い体からは想像もつかない鋭い太刀筋でジャスティーヌにまとわりつく男共を一刀両断と言えるほどの圧倒的な強さでねじ伏せ、追い払っていた。
「アントニウス様、お言葉が過ぎます。どうか、冷静におなりください。ブランデーが多すぎましたか?」
 心配げに問うミケーレに、一瞬アレクシスの面影が重なった。
「アントニウス様?」
 心配げに跪くミケーレに、アントニウスは初めて自分が泣いているのだと気づいた。
「私は泣いているのか?」
「どうなされたのです、アントニウス様、アレクサンドラ様と何か?」
 ミケーレの問にアントニウスは頭を横に振った。
「大丈夫だ。ただ、懐かしくなっただけだ」
「アレクシス様でらっしゃいますか?」
 まるで心を読んだかのようなミケーレの言葉に、アントニウスはドキリとした。腹心のミケーレにすら、アレクサンドラの秘密は話していない。しかし、あのアレクサンドラがアレクシスとして乗り込んできた日、あの凛々しさを失い、女性のようにか弱く見えたアレクシスに、勘の良いミケーレならば何かを気付いたかもしれなかった。
「お前は、何でもお見通しだな。私は彼が懐かしくて、もう会えないかと思うと悲しくてたまらないんだよ」
 アントニウスは言いながら涙を拭った。
「アレクシス様にお手紙でも出されては如何ですか? もしかしたら、御用向きで伯爵家にお立ち寄りのご予定がおありになられるかもしれません」
 ミケーレの言葉にアントニウスは頭を横に振った。
「いや、あの日、彼は私に誓ったんだ。私がデマを流した犯人だと誤解し、屋敷に乗り込んできた非礼を詫び、二度と私の前には姿を見せないと。そんな彼が私に会うはずがない」
 本当のところ、もう男には見えなくなってきたアレクサンドラに、二度とアレクシスになるなと通告したのはアントニウスだった。
「左様でございますか。あのご気性ですから、二度と顔を出さないとお約束されたのであれば、それは変えがたいということでございましょう」
 ミケーレの言葉を聞きながら、アントニウスは自分が恋しているのがアレクシスなのか、それともアレクサンドラなのかと考えさせられてしまった。しかし、社交界にデビューしたアレクサンドラにアレクシスに戻る道は残されていない。
「それにしても、アントニウス様がアレクサンドラ様に結婚を申し込まれるとは、突然のことで私も正直驚きました。お付き合いらしい、おつき合いもされていらっしゃらないのに」
 その事は、誰よりもアントニウスがよくわかっていたが、ミケーレは結婚を申し込み、莫大な額の支度金を投じながら、なんの約束も取り付けていないということの方が驚きとも言えた。
「ミケーレ、薔薇は独りでは花を咲かせることは出来ない。水をやり、手入れをする者がいるから美しく咲くことが出来る。アレクサンドラが薔薇ならば、私は水にでも、肥料にでもなろう。たとえ、花を手折り自分のものにすることが出来なくても」
「アントニウスさま・・・・・・」
 アントニウスの愛の深さに、ミケーレはそれ以上、言葉を継ぐことが出来なかった。
「下がってくれ、アポロニアの話で悪酔いしたようだ。少し休む」
「かしこまりました」
 ミケーレは一礼すると部屋を出て行った。

☆☆☆