初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・


 昨晩の夜会で、『アレクサンドラを嫁に』と迫る貴族に拉致され、飲みたくもない酒を浴びるほど飲まされた挙げ句、一晩中悪夢を見続けた伯爵は、完全な二日酔いに襲われ、起床時間を過ぎても執事を待たせたまま二度寝しようと、激しく痛む頭を抱えていた。そこへ『あなた、寝ている場合ではありません』と、寝室に踏み込んできたアリシアの鬼気迫る様子に悪夢の続きを見ているのかと、伯爵は卒倒しそうになった。
「奥様・・・・・・」
 執事がアリシアを宥めようとしたが、アリシアは執事に道をあけさせ、ジャスティーヌから渡された恐ろしい内容が記されたアントニウスからの手紙をルドルフの目の前に突きつけた。
「そんなに急ぎなのか?」
 しぶしぶ起き上がった伯爵は、甘い言葉が並べられた手紙に顔を上げた。
「どこのどいつがこんな手紙をアレクサンドラに? アレクサンドラは、まだ、公式には殿下と見合いの最中だと言うのに」
 ルドルフは言うと、再び横になろうとした。
「あなた、その先です。問題なのは、その先です!」
 アリシアに言われ、ルドルフは再び手紙に目をやった。
 ルドルフの顔が青ざめるのに、そう時間はかからなかった。
「まさか!」
「その、まさかです!」
「ならば、ライラをアレクサンドラにつけて、新しいメイドをジャスティーヌにつけるしかあるまい」
「そんな、無茶です。もし、みあいの期間が明け、ジャスティーヌが正式に婚約となったら、王族に入るための行儀見習いで王宮に入ることになるのですよ。敵地に気心の知れていない、ましてや敵のスパイのような侍女をつれて行かせられません」
 アリシアの剣幕に、ルドルフは大きなため息をついた。
「では、今から新しいメイドを雇うしかないか」
 言っているルドルフ自身、そんな余裕はどこにもないことをよく知っていた。
「ですから、緊急事態なのです」
「国家間の争いに気を取られて、こんな近くの落とし穴を見落としていたとは」
「見落としていたのではありません。私は、アレクサンドラを社交界にデビューさせると決めたときから、この問題に頭を悩ませていたのです。弱小とはいえ、歴史の古い家柄を考えれば、社交界にデビューする娘二人に侍女が一人なんて、世間体よりも、娘たちに辛い思いをさせるばかりです。ただでさえ、火の車の家計のせいでドレスは着まわし、サイズ直しでごまかし、社交界で気まずい思いを何度もジャスティーヌはしていたはず。それをアレクサンドラにも味わせるなんて、可哀そうすぎると。そこへ、勿体ないお話が来て、二人とも衣食住には困らなくなったとはいえ、それでも、侍女が一人では、外出もままなりません」
「しかし、アリシア。私としては、アレクサンドラを外出させるのはやはり心配で・・・・・・」
「あなた、何を心配なさっているのですが? 昨晩のアレクサンドラをご覧になられたでしょう? あの子は、もう立派なレディです。あなただって、縁談の話にお困りなのではないですか? 私だって、奥様方から、アレクサンドラの将来に関してあちこちで問い詰められ、感の鋭い方など、まさかこのままアントニウス様に嫁がせるつもりではないのかとか、色々尋ねられましたのよ」
 アリシアの言葉に、ルドルフは自分と同じような状態にアリシアが置かれていたことを初めて知った。思えば、昨晩は悪酔いして気分の悪いルドルフも質問攻めにあったアリシアも、帰りの馬車の中では一言も口をきかず、どちらからともなく帰宅後はそれぞれの寝室に帰り、夫婦の寝室では休まなかったのも頷けた。
 ルドルフ自身、生まれたのが娘二人の双子だと知った時、将来にかかる出費を考えると手放しで喜べず、アリシア付きの侍女から『旦那様!』と一括され、執事からも『旦那様』と促され、男児ではなかったが、二人の娘を産むという大業を果たした妻へのねぎらいの言葉を書けたのが今も思い出された。
 残念ながら、一度に二人の娘を産んだアリシアにその後妊娠の気配はなく、こうして二人の娘が社交界にデビューした今、伯爵家には後継者と呼べる息子はなく、本来であれば、どこかからアレクサンドラに婿を貰い、後継ぎにするべきところなのだが、そのアレクサンドラもイルデランザ公国との和平の為に嫁がせることを求められ、ルドルフは後継者問題と、当面の間秘密にしておかなくてはいけないアレクサンドラが嫁ぐであろう嫁ぎ先の事をぬらりくらりとごまかし続けなくてはいけない立場に置かれていた。