初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・

「やはり、フランツは冗談ではなく本気で私を口説くつもりなのでしょうか?」
 アレクサンドラは呟くように言った。
「そんなに私を嫉妬させたいのですか? こんな近くに私がいるのに、他の男、しかも、よりによって、あの憎らしいフランツの名を口にするなんて・・・・・・」
 アントニウスは言うと、近かった距離を更に縮め、まるで鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで間合いを縮めた。
「彼は、きっと父親からなんとしてもあなたをモノにしろと命じられているのでしょう。実際、彼の家は侯爵家ではありますが、ここ何代も要職に就くことができず、宮廷での存在感が薄れています。そこへ、ジャスティーヌとロベルトの婚約が近いという噂が王宮で実しやかに囁かれ、王太子妃の父親となれば、伯爵でも充分要職に就くことが出来ますから、ますます存在感が薄れてしまう。そうなると、妹のあなたを息子の嫁に貰い、伯爵と縁戚関係になることで宮廷内での存在感をあげ、息子の将来を少しでも明るいものにしたいというのが父親心でしょう。何しろ、妻の妹の夫を冷遇する夫はいない。例えロベルトがどんなに公平でも、あなたの夫となったものを冷遇することはないでしょうから、存在感の薄い上級貴族にとってあなたは喉から手が出るほど嫁に貰いたい存在ということです」
 アントニウスはこんな至近距離まで距離を詰めておいて、自分は口づけ一つせず、何を語っているのだろうと、自分の愚かさにため息が出そうになったが、それでもアレクサンドラの許しを得ずに無理やりに口づけしたいとは、微塵も思わなかった。
「父は、きっと要職に等つかないでしょう。自分の領地の管理に忙しいですから」
 アレクサンドラの言葉に、アントニウスは苦笑した。
「ご存知でしたか? 税金には二種類あることを・・・・・・。国が国民に課す税金と、領主が領民に課す税金の二種類があります。あなたの御父上の領地では、二つ目の領主が領民に課す税金がほとんどゼロなのです。つまり、民は国に治める税金さえ工面すればそれでいい。しかし、貴族の生活は、二つ目の税金、領民に領主が課す税金で成り立っている。ですから、あなたの御父上が、フランツの父親のような、重い税を領民に課していれば、あなたは産まれてこの方、お金の心配などすることなく生活することが出来たでしょう。その代わり、領民の怒りや憎しみが向けられ、あなたが所領を訪問しても、民はあなたに儀礼的な挨拶しかしない。でも、アーチボルト伯爵家の所領は違います。わずかな税金しかとらないから民は豊かです。それでも暮らしが成り立っているのは、先祖伝来の広い領地を所有しているからです。だから、アレクシスが所領のどこかに帰って戻ってこないと聞いても、誰も不思議には思わないのです。あれだけ広い領地です。それをあそこまで細かく丁寧に管理しているのは、この国ではあなたの御父上くらいです」
 父の事を褒められ、アレクサンドラはとても誇らしく思った。しかし、アントニウスは再び自分の体たらくにため息をつきそうになった。
 相手がアレクシスを感じさせるアレクサンドラだった時は強引に迫ることも。それこそ、いざとなったら力ずくも辞さない覚悟のようなものがあったが、その不謹慎極まりない覚悟はアレクサンドラがレディになればなるほど姿を潜め、社交界デビューを果たした立派な、誰もがうらやむレディとなった今、アントニウスが持つ選択手段からは完全に姿を消していた。
 本来ならば、誰よりも優位な立場で、しかも国王陛下にまで求婚する意思があることを表明し、正式に妻に迎えることも非公式に許され、どちらかと言えば、将来王妃になるジャスティーヌの妹であるアレクサンドラを将来大公の片腕として補佐する立場に着くであろうアントニウスが娶ることは政治的にも望ましいとされ、母のマリー・ルイーズまでしゃしゃり出てきている状態なのに、なぜかアントニウスには甘い口説き文句を連ねることが出来ず、告解室という狭い密室でアレクサンドラと二人っきりになることが出来る教会の神父にまでやきもちを妬いている始末だった。
 きっと、アレクサンドラが普通の男を相手にするときのように、激しい警戒や恐れや躊躇を見せたなら、アントニウスにもいつものように口説きモードに入ることが出来るのだろうが、何度言い聞かせてもアレクサンドラは秘密を知られた弱みがあるからと、アントニウスの前では無防備で、何をされても抵抗しないという姿勢を貫いているから、アントニウスは逆に強硬手段に出ることによって、アレクサンドラの意思を踏みにじって自分の想いを無理やり押し付けることになることを警戒して、それこそ人目のない場所で腕を組む事すらためらってしまうのだった。
 その結果が、口説くのに最適な密室であるはずの馬車の中で二人きりだというのに、しかも、鼻と鼻が触れ合いそうな距離に迫ってもなお、アントニウスがしていることは、いかにアーチボルト伯爵が領民を大切にしているかという、どちらかと言えば男同士で語るような話題にそれて行って、微妙な男女二人だけの甘い空間を自らぶち壊していると言っても過言ではなかった。
「とにかく、あなたはもう私に何も引け目をかんじる必要はないということです」
 やっとのことで言うと、再びアレクサンドラが目を伏せた。
「そういうわけには参りません。今日のお支度と言い、何もかも、すべてを援助していただいたのですから、妻にとは申しません。侯爵家のご嫡男なのですから、せめてこちらにいらした時にお世話をする、それくらいのお礼しかできませんが、私はそれでご恩を返していきたいと思っております」
 目を伏せて言うアレクサンドラの『お世話』は言葉通りのメイドの様に甲斐甲斐しく身の回りのお世話をすることではなく、アントニウスの愛人になるという意味だということは、既にアントニウスもよく理解している。そして、その事がアレクサンドラを教会の告解室へと通わせていることも分かっていた。
「ですから、私は、あなたに妻になって欲しいのです」
 アントニウスは馬車の板壁から両手を離すと、自分の頭を両手で抱えた。