「ここまで来れば大丈夫だ。
 綾部様も馬鹿じゃない。
 あいつが俺たちに何も出来ないように手配してくれるさ。」

 そこまで言うと加賀さんは繋いでいた手を離して続けた。

「今日は悪い。
 無かったことにしてくれ。」

 無かった……ことって何?

 加賀さんが歩み寄って体を屈めた。

 そして優しいキスをする。
 愛しい人へというよりも、まるで餞別のキス。

「悪い。」

 無かったことにするのは何を?

 今日、マンションへ行くことが?
 気持ちに応えたいってことが?

 まだ私といるのに胸ポケットから携帯を出して電話をし始めた。

 私から見えてしまった画面。

 画面には着信履歴にあった登録されていない番号。
 誰のものか分からない。

 不安げに見つめた電話口から声が漏れる。

『何よ。
 やっぱり1人の子じゃ物足りないんでしょ?』

 甘いまとわりつく声。

 それを聞いていたくなくて加賀さんの腕をつかんだ。

 携帯は手から滑り落ちて地面の上に落ちた。
 割れた画面からはまだ女性の声がする。

 わざと私の目の前で電話したんだ。
 こんなにクズ男なんだぞって見せつけるために。

 思いっきり引っ張って、こっちを向かせると背伸びをして、首に腕を回した。

 そして……。

「イタッ。」

 歯が当たってじんわりと血の味が広がった。

「下手くそ。」

 加賀さんも当たったのか口元を拭った。

「だって………。」

 加賀さんが私に向けた眼差しはひどく冷たかった。

「すっげー乱暴な気分なんだ。
 だから一緒にはいたくない。」

 だから別の人といようとするの?
 本当、最低だよ。

「私を侮らないでください。
 受けて立ちます。」

 冷たい眼差しを睨み返した。