彼の声はうっすらとしか聞こえない。
目を閉じると肌が彼の指先の場所を教える。
首筋に這わされた舌に弄ばれて、痺れるような感覚が躯を走る。
「あ、」
いつの間にかわたしの身体を這っていた彼の指が、首に回る。
喉元を圧迫していく。
「自由のない人魚姫の声まで潰すの?」
「まさか、そんなことしたらきみのかわいい鳴き声が聴けなくなる」
彼は少し間を置いてから、続ける。
「海に行ってきたんだ」
いつも理由を答えてくれない彼がそう言っただけで、わたしの心臓が早鐘のように打ち鳴り始めた。
「なぜ、」
「投げてきたんだよ」
「なにを」
「きみのスマホ」
もうきみの声は届かないね、と言われ、たまらなくなって、彼の首しがみつく。
耳元に近づいた彼の唇が愛してると囁いた。
心が締め付けられる。
わたしを外の世界から引き上げたあなたの言葉は、いまだにわたしを捕らえて放さない。
「もっと、頂戴、」
彼の吐息に、指に、動きに、全身が応える。途切れそうになる。
意識を必死に手繰り寄せて、彼自身を受け止める。
少しずつ激しくなる動きに堪えきれない感情が高まっていく。
彼はいつも終わりを嫌って、何かに耐えるような顔をする。その表情がわたしはとても好きだ。
苦しくなるほど強い波に押し流れそうになった時、彼の躯が震えた。
それが何も生まない、吐き捨てる行為とわかっていても。
わたしは彼の頬に唇を寄せて愛してると囁く。
わたしの声は彼にだけ届けばいい。
汗ばんだ彼の背中を抱きながら、わたしは、自分が捨てた広大で窮屈な世界を思った。
若さとはかけ離れた制服。
地味なチェックのベストとタイトスカート。
足元は履き古したヒールのある黒のパンプス。
始業時間は10時。
手を前に合わせ、お辞儀は45℃。
騒がしい人の波ではなく、わたしはこのベッドの、柔らかな毛布の上で溺れていく。
彼と共に実を結ばないダンスを踊りながら。
ぐるぐると部屋の中を廻りながら。
この小さな世界が楽園であることを、わたしは祈っている。
おわり

